南牧村移転計画≪復刻版≫の最近のブログ記事

 

床張り作業真っ最中の折、隊員は天下のNHKから取材の申し込みを受けることになる。   なんでも、都会から山村に移り住んで来た人たちを対象としているとの事で、とくに断る理由もないので了承することになった。

とても当たりの柔らかいNHKの記者さんはその後4回ほど、忙しくて生まれたばかりの子供の顔を見ることがかなわないでいるカメラマンと、ときどきドジを踏むカメラマンの弟子を従えて取材に訪れることになる。    

村役場で隊員の存在を認知したらしく、変わり者がいるとでも思ったのだろうかわざわざ隊員のいる現場まで足を運んできたらしい。   隊員はといえば、その頃はちょうど薪ストーブの設置場所で、床から40センチほど下がった堀の部分のコンクリート打設工事の真っ最中であった。"コンクリート打設工事"と書くと立派に見えるが、当然のことながら砂利・砂・セメントを買出しにいってきて、現場で手練・手打・鏝仕上げとすべて隊員自ら体を使っての工事ということになる。   これは結構キツイ

『こんにちは~。NHKです~。』と来たものだから、隊員はてっきり受信料徴収の件でまわってきたものと理解し、怪訝そうな表情で見遣った。   玄関先に立っていたのは、スーツ姿にネクタイを締め、あきらかに料金徴収のおじさんとは違う空気を持っていることを隊員は察知した。    

『役場の長谷川さんから紹介して頂きまして伺いました。今度こちらに来る方が、ちょうど改修をしていると聞いて、少しお話を伺ってもよろしいでしょうか。』 ということで、それから小一時間ほどだったろうか、あれこれと、この地を選んだ経緯から工事の進行状況・家族構成・いつ頃移住予定なのか・それに隊員の生い立ちまで、さまざまな質問に隊員は熱弁を振るって回答をした。

その甲斐あってか帰り際、NHK前橋放送局記者の名刺を置いて、『また後日、正式に取材の申し込みに来ると思いますので、よろしくお願いします。』と、帰っていったのである。

   

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  NHKの取材チーム。
  また南牧に来たときは、よっていってください。

 

 

 

その夜隊員は、東京柴又の自宅に早速電話を入れ、今日あった出来事の一部始終を報告した。もちろん自慢話のなかでもかなりランクが高いせいか、悟られまいとたいしたことではないような口調に徹してはいたが、その鼻の穴は大きく膨らんでいた。   子供じゃぁないんだから、まったく・・・。

数日後、正式な取材の申し込みを受け、最終回隊員家族の引越し当日までのあいだ計4回ほどだっただろうか、お付き合いさせていただいた。   引越し当日最後の取材の日は、家内も子供たちも取材を受け家内は、『玄関先で掃除をしている様子を撮りたいので。』というリクエストに『えぇ~。ほんとにやるんですかぁ~。』とかなんとか言いながらも、うれしそうに応じていた。それも取り直し3回をこなしながらである。    

『おぬし、なかなかやるな!』 隊員は心の中でつぶやいていた。

  過日にはなるが、3月の末日をもって隊員とその家族は群馬県南牧村という地に移転を完了させることになる。   母屋の改修はひとまず第一期工事完了というかたちで区切りをつけ、以降は家族の手を借りながら予定としては第五期工事までの予定を立てている。工期の日程は期限無しとさせて頂き、数年越しとなることは必至の状況。

これから始まる新天地での生活と、苦難の連続を想像しながら『南牧村移転計画雑記』を終了することになる。   若干一名の隊員には一言『ご苦労さん!』と、声を掛けてやってほしいものだ。また南牧村での出来事など、気がむいたときにでもレポートを入れてゆきたいと思っておりますので、よろしければ覗いてみてください。それでは、又。

 

 

 すべての床を撤去し、下地となる根太・大引きもすべて撤去。
柱だけを残して一階床解体撤去は終了。   隊員はまず新しい床の規準となる水墨(水平墨)をそれぞれの柱に記していく。    

おおよそ見た目だけでも相当に水平が狂っているのは予測できてはいたのだが、実際に測ってみると半端な狂いかたではないのだ。   基準となる玄関框の横に立つ4寸5分の柱を±0とすると、向かい合わせに建つ栗材の8寸大黒柱で2寸6分のマイナス。最も狂いの大きかった奥の変形11畳間入り口の宙ぶらりん柱で、実に3寸2分ものマイナスとなっていたのだ。

すべての柱の状態をチェックし、狂いの状態を把握し終えた隊員は、しばらくその場に座り込んでしまった。   3寸2分といえばおよそ10センチである。本来水平でなくてはならない床の高さが10センチも違うのだから無理もない。

隊員 『外回りはいじくらないんだから、どうすっかなぁ~。』
    『もじって無理やり納めっかなぁ~。もじるったって3寸もあったんじゃもじりきれね~なぁ~。』
    
注:もじるとはねじるとか、斜めにするとか、そのような意味で使われている。(柴又地方の大工の間では。
   
 『まあ。とりあえず上げるだけ上げてみっか。』 

というわけで、隊員はジャッキアップして持ち上がりそうな柱を少しでも上げてみることにした。
悪友である松戸市在住の粟野君に頼み、大型ダンプで使用する通称ダルマと呼ばれている油圧ジャッキを2台購入。当然バッタ屋で、ただ同然の価格での購入である。    

週末、東京に戻った際にダルマを受け取って現場入りした隊員は、手始めに上がりそうな柱をジャッキアップしてゆく。   ビシビシッビシビシッ。鈍く大きな音を立てながらその柱は少しまた少しと上がってゆく。ダルマ恐るべしである。
こんな小さなボディーのどこに、これだけの力を隠し持っているのかと感心させられる。

これ以上持ち上げると他の部材に影響が出ると思われる一歩手前でやめて、腐ってなくなっている根元を切り落とし根継ぎの加工を施す。   ジャッキを緩めて柱一本終了である。    

ずいぶんと簡潔に書いてしまったが、柱一本の工程を終了するのに半日以上もかかるのだ。根継ぎの加工が意外と手間を食う。

それぞれ修復の必要な柱をジャッキアップして作業を進める。さすがに大黒柱だけはすべての部材と絡みがあるので、現状で修復をすることにした。
まず腐ってしまっている根元を愛用の玄翁(金槌)でひっぱたく。その後これでもかとばかりにカジヤ(バール)の先っぽで突っつき、腐っている部分を取り除いてゆく。やがてあの丈夫な栗の大黒柱根元は鉛筆の先のような姿になった。

 

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上の画像のような状態になる。

やがてこの大黒柱の根元は、四角く枠を回されて、コンクリートでガチガチに固められることになる。
ひとまず補修の必要な柱の作業を終え、またしばらくのあいだ柱としての役目を担ってもらうことにした。    
話は変わるが、これだけの建物のわりに大黒柱の寸法が少々小さいような気がする。栗材だからだろうか・・・。

数日後、柱だけを残して撤去されていた一階の床は、新たな床を張るための下地が組まれ、防腐剤のシャワーをたっぷりと浴びて根太と根太の間には断熱材をまとい床下地作業は終了となった。新たな床材には地元の材、杉材を使うことにする。

 

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村内にある製材所を尋ねた隊員は、角刈りに白地下足袋を履き、目玉がクリクリのまるでわんぱく坊主がそのまんま親父になったような主人と床材の交渉に入る。   予算がない旨を伝えた隊員に、
『何とかしてやるよ~。うちで引き落としたやつで作りゃ~なんとかなるかなあ。』
ということで、床材は村内の製材所で作ってもらうことにした。   新規にフローリング仕上げにする予定の一階床分と、二階で少々使うことを考えひとまず30坪ばかり注文。                         

床材が出来上がるまでの間、前もって購入してあったタモの板材を愛車ハイエースの特注キャリアに積み込み、一時柴又に帰ることにする。柴又で床張りに必要な枠材、敷居・鴨居、框等の化粧材を加工してこなくてはならないのだ 。   かなりの重量となる。無事に柴又まで着けばよいのだが。

 

 

東京は寒いところですねぇ~。う~ぅ寒っ!

 古い民家の場合、一階床から二階梁・二階床部分までの高さが、かなり低くなっていることが多い。囲炉裏で燻され何十年もの年月をかけて柱・梁・二階床は真っ黒になり大黒柱などは黒光りさえしている。

表に面した四間以上はある日当たりのよい縁側には、よい日が当たるのだが、なにせ奥行きがあるため内部は日中でも薄暗いのだ。   
二階の東南側にもほぼ端から端まで開口されており、現在は閉められている雨戸を開け放つと大量の日差しを確保することができる。ただその光も、床にさえぎられ一階に届くことはない。

圧迫感のある一階。おまけに薄暗さが気になる・・・。

隊員はしばらく腕組みをして思案に暮れていたのだが、その翌日から行動は開始されることになった。    思い切った行動に出たのだ!   隊員の頭の中には、一階から見渡せる屋根を支える梁材・二階を突き抜けて伸びる大黒柱、開放感のある広い空間が描かれている。   

大きなカジヤ(バール)を手に二階に上がった隊員は、厚さ8分(24ミリ)はある松の床板材を一枚一枚剥しにかかったのである。   程なく二階の床の一部がはずされ、一階の様子が望めるようになってきた。
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一階に降りて今はずされた二階床があった箇所の真下に立ってみる。
胸のすくような開放感、その付近だけが明るくなった。思ったとおりの結果が得られた。   引き続き二階床の撤去作業が続き、二階周囲をぐるりと回廊のように床を残し、そのほかにも10坪ほどの空間を残して床材は撤去された。   その下地となっていた根太も撤去。梁だけを残して隊員の思いつき撤去作業は終了。    広々とした空間が出来上がった。

再び一階に下りてその開放感に大満足である。頭を抑えられているような圧迫感はそこにはなく、のびのびとした空間が広がっている。二階からは柔らかな明るさが一階全体にゆきわたり、薄暗い雰囲気が一掃されていた。

その日はかなり疲れた。晩酌に缶ビール一本とお酒をコップに二つほど引っ掛けて早々に寝袋にもぐりこんだ。

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翌日からは、一階の床をすべて撤去する作業に取り掛かる。   

一階床の状態はかなり悪い。奥の間は完全に床が抜け落ち、現場にたどり着くことさえ困難な状態。床の間のある八畳間も,隣の八畳間も下地が完全にやられているのが乗っただけですぐにわかる状態である。『先が思いやられる。』とはこのことだ。

最も状態の悪い、奥の変形11畳間から床を解体撤去しはじめる。   100年も前に建てられたのだから状態が悪いのは覚悟はしているのだが、床材はもはや強度という定義を持ち合わせていない様子で、まるで茶系の色をした発泡スチロールのようになっていた。

つつけば面白いように穴が開くし、とても軽いのだ。そのフカフカの床材を剥し下地を撤去してみると天然石の上に建てられた柱が姿を現してきた。ちょっと見た感じでは、とくに変わりなくまあそれなりに年数を感じる程度の、いかにも頑丈そうな柱材。   これがかなりの曲者だった。

隊員は『おぉっ!柱は大丈夫そうだなあ。』とつぶやきながら腰袋の玄翁(一般には金槌)で柱の根っこをひっぱたいてみたのだ。   本来ならコンコンと小気味よい槌音が響くはずなのだが、かえって来た槌音はブスッ!であった。   隊員の体内にめぐっている血液が心臓から下のほうに移動を開始。再度柱の根元をひっぱたく。
ズボッ!ズボッ!と鈍い音が返ってくる。
なおもひっぱたかれた柱の根元は、そのたびに鈍い音を立てながらスカスカの木屑を回りに飛び散らせ、挙句の果てには完全に石の上から距離を置き、宙ぶらりんの状態になっていた。
『なんてこった。』
隊員のやけくそとも聞こえるつぶやきが聞こえたような気がする。

 

 

 

南牧村の梅もだいぶん花がついてきています。春近し。

 一階部分の大まかな片付けがひと段落ついた頃。その先に待ち構える二階片付け撤去作業に備えて、隊員は下見をしてみることにした。外からは雨戸が締め切られ、うかがい知ることのできなかった手付かずのままの二階。外からの階段でしか進入するルートがなく、上りきった入り口には建付けの悪い引き戸があった。    カタンコトンとバランス悪く引かれてゆく引き戸と柱の間に、徐々に隙間が広がっていくとその前方に、薄暗い空間が広がっていた。

雨戸が締め切られているために中の様子はぼんやりとしか確認できない。むかしこのあたりの農家ではほとんど家でお蚕を飼っていたらしくその名残と思われる道具類。その後は倉庫代わりになっていたらしく、農機具・味噌樽・無数の建具障子・なぜか大太鼓 。使い古しの電化製品・竹の大籠・わらで編まれた菰(むかしは相当高価であった。)等々。気が遠くなるような物量とあきれるほど積もった埃に、隊員は逃げ出したい気持ちを抑えるのに必死だった。母屋を片付けて修復工事をおこない、人が住める状態にリフォームするという使命を受けている以上、逃げは許されないのだ。

下見から数日後、いよいよ二階片付け撤去の作業に入る。閉ざされていた雨戸はすべて取り外され、おそらくひさかたぶりになると思われる太陽の光を浴びることになる。村の田貝さんという方が、二階の片付けを手伝ってくれることになり撤去作業はスタートを切った。    まずは床に置かれたありとあらゆる残材を、燃やせる物はドラム缶のある表側に、腐らせて肥やしとなるものは裏の畑に、薪として使えそうな物はやはり裏手にある薪小屋に粗大ごみと判定された物は一画を設けてその場所に積まれてゆく。    裏の畑といっても裏山に切り開いた急勾配の位置にあるため、置き場所まで担ぎ上げるだけで大変な労力を要する。田貝さんと二人で二宮金次郎が使っていた背子を背負って裏山と二階を行ったり来たりとなる。    裏山の畑にはよくイノシシが出るらしい。シシよけの柵になるからということで、お蚕さんで使っていた竹で編まれた大きな平たい籠を何十枚となく担ぎ上げる。他に障子がやはり20本ほどあっただろうか。
    
隊員   『田貝さん障子と建具も畑に持ってくんですか?』
    田貝さん『おうはだげの上のほうにつんどきゃあのう、幾年もすりゃくさっちまうだべぇ~。』

・・・だそうだ。

二往復もするとかなりくたびれる。裏山の斜面に腰を下ろしては小休止を繰り返す。やがて風が冷たくなり始め時刻も仕舞いの時間となっていた。隊員はかなり疲労していたのだが、田貝さんは何事もなかったかのように『またあしたくらぁ』と言い残して帰宅。隊員38歳。田貝さんは60半ばを過ぎている。参った。

3日間ほど田貝さんに手伝って頂き、二階をすべて空っぽの状態にするまでに要した日数、実に6日である。その間、隊員の激務をねぎらうために、車で30分ほどのところにある『荒船の湯』という公共の日帰り温泉入浴を2度ほど許可。
こじんまりしているが施設内は大変きれいに手入れされており、平日の夕刻ということもあってかとても空いていた。のんびりと湯につかり、疲れを癒すことができた。たまにはいいもんだ。

約一週間をかけて『二階片付け撤去』という一大プロジェクトはひとまず終了。作業前の状態があまりに凄かったせいか、隊員は手を付ける前の現場撮影を忘れてしまっていたために今回は作業終了時点での現場の様子を収めた貴重な画像を貼り付けておくことにする。

以上。

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左下に見えているのは一階囲炉裏の煙道口。

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二階部分だけでも45坪ほどある。

 

 

移転計画本隊が現地入りしたのは2月10日火曜日からだった。

隊員は総勢1名。いずれも選び抜かれた精鋭ばかりである。初日はお隣さんのおばちゃんや、何事かと覗きにくる村人の応対の追われあっという間に一日が終わってしまった。    翌日から1階住居部分の片付けが始まった。途方もない量の生活用品を運び出し片付けてゆかなくてはならないのだ。前住居者が生活をしていたそのままの状態で放置されていたためありとあらゆる物が対象となる。

鴨居の上の額入りの賞状。引き出しの中にはローソク、線香、和同開珎を含む古銭、仏具一式。明治の日付が読み取れる大福帳。当時としては珍しかったと思われるあつらえの燕尾服。電気毛布、あんか。大量の衣類。大きな木製の食器棚にはあふれるばかりの食器類。どれもこれも年代物ばかりである。    それぞれの必要性に応じて、とっておく価値のあるものは母屋の隣にある大きな蔵の中に仕舞う段取り。処分する物は燃える物と燃えない物に分け燃える物は近所のガソリンスタンドで頂いたドラム缶のなかでおよそ2週間にわたって焼却処分されることとなった。

母屋の前には村道が通っており、少し先まで行くと車の通り抜けができないようになっているため舗装はされていても車両の通行が極端に少ない。すぐわきには南牧川が流れる静かな環境のためこのあたりに住む年配者にとってのよい散歩コースになっているらしい。朝な夕なに散歩を楽しんでいる姿をよく見かける。    やはり狭い村内では少しでも変わったことが起きると瞬く間に話がゆきわたると見えて翌日からは様々な方がのぞきにやってくる。

       村の人 『東京からきたんだって~。』 『家族もくるんか。』
       隊員   『はい。家内と子供が3人おります。』
       村の人 『子供さん3人か。そりゃあ賑やかになっていいなのぉ~。
                             何せこの辺は年寄りばっかりでなあ。』
             『上の子はいくつじゃあ?』
       隊員   『上は今小学校の一年生です。今度二年になります。
             下が保育園の年中で3番めがやっと五ヶ月になります。』
       村の人 『ほ~。一年生か。そりゃあよかった。磐戸小の一年はたしか5人だった
            
かのぉ~。
             これで6人になるから賑やかになるのぉ~。』
       隊員   『えぇ~!5人ですか。一年生が5人しかいないんですか。』     
       村の人 『お~そうじゃぁ~。男の子が四人と女の子が一人じゃったかのぉ~。』
       隊員   『 絶句 』 ・・・(ちなみに隊員の小学生の子供は女の子である。)

以上のようなやり取りが(かなり省略してある)訪れる方々とのあいだで毎度のようにおこなわれるのだ。当然作業のほうは中断せざるを得ない。置き火の残るドラム缶を囲んで話が弾む。時計も気になる・・・。当日の朝、綿密に練られた作業の計画は半分も進まないままその日の作業は終了。毎日のように続く村人とのドラム缶を囲んでの交流のおかげで、隊員の存在は村の人々に少しずつではあるが認められるようになっていったのだ。もちろん作業計画のほうは大幅に狂いを生じてしまったが・・・。

みなよい人たちばかりで、なんとなくホッとしている。時間がゆっくり流れているような気がする。『慌ててもしょうがないなあ。のんびりやるかぁ~。』自分に言い聞かせるように隊員はつぶやきながら、当分のあいだの寝床となるトヨタハイエースの後部座席に乗り込みオークションで購入したマイナス10度まで耐寒性能のある寝袋にもぐりこむ。その日も見事に真っ黒な夜空に無数の星たちがきらめいている。東京の夜空とは大違いだ。まったくもって見惚れてしまう。

 

 

いよいよ工房兼住居の移転計画がはじまった。
先月一杯で東京での仕事を打ち切り、4月引越しに向けてしばらくは忙しい日々が続くことになると思う。東京に戻ってきたときにでも経過を報告していくつもりでいるのだが、あくまでも気がむけばの話になると思うのであらかじめご了承いただきたい。

今月2月3~4日にかけて、移転先である群馬県甘楽郡南牧村(なんもくむら)に先遣隊を派遣。隊員若干一名。現地で本隊受け入れのための下準備に奔走する。現地村役場で移住をサポートしていただいたS氏と詳細の確認を行い注意点、今後の展望等を協議して散会。その後、移転先である磐戸地区に移動して目指す物件の状況確認を行なう。    築後100年は経とうか、という農家の母屋。構造材はかなり大きな部材を使っており骨組としてはがっちりとしている。

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川沿いの村道から一段高台に立っており玄関・縁側が南に面したとても日当たりのよい位置にある。目の前には南牧川という流れのきれいな川が流れている。私は川釣りの経験はあまりないのだが、季節になると鮎・うぐい・岩魚などが活動を始めるらしい。

築100年と、住人がいなくなってから長く放置されていたせいか内部はかなり痛みがあり、ところどころ床は抜け落ち、天井にはカビがいたるところに発生している。1階床部分のほぼ半分近くを占める畳の状態もかなり悪い。ざっと数えただけで45枚ほどあるがどれもひどい状態である。中には起こそうとするだけでボソッと抜け落ちる物まである。

前住人が生活をしていたそのままで時間が経過していたため、家財道具・食器・衣類・布団・押入れの中までがそのまま。2階にはお蚕さんの作業場がそのまま残っており、古い蚕道具やありとあらゆる不用品、すすにまみれた木材、どこかの資料館で見覚えのある農機具などが残骸として残っていた。まさに足の踏み場がないとはこのことである。

一通り視察を終えた先遣隊はこれから始まろうとしている移住計画が、大変な労力を要することになることを確信して現地を後にする。 『いざ柴又へ!』

2010年7月

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