毎年このくらいの時期になると少年時代を思い出す事が多い。
私は最もわんぱく盛りの時代を東北の小さな町で過ごしている。
まわりを山にかこまれた典型的な盆地だった。 近くには国鉄のローカル線が通っていて、友達とよく線路に耳を当てては遠くから近づいてくるであろう汽車の音を当てっこしたりしていた。
遮断機もないその踏切を越えるとすぐ土手道に上がる小さな坂道があり、坂道を登りきると目の前には当時の記憶ではとても大きな川が流れていた。
米代川というその川もまた私達子供にとっては格好の遊び場となっていた。
すぐそばには大きな赤い橋が架かり尾去沢地区と私のすむ花輪地区を結んでいた。赤い橋の下は大小様々な丸石があり夏はよく水遊びをしたり、魚取りをした。ウグイなどは今でいう10キロの米袋一杯になるほど取れたものだ。
一度だけ15・6年ぶりくらいに町を訪れた事がある。
私の記憶の中で大きな川だった米代川も、長く大きな赤い橋も、土手道に上がる坂道も、そばにある営林署の広場も何もかもが昔のまま残っていた。
ただあれほど記憶のなかでは大きな存在だったはずの川や橋、営林署の広場が二廻りほど小さくなっていた。いつのまに小さくなったのだろう。
よく家族で近くの山に山菜取りや、きのこ・なめこ・ひめたけなどを取りに行ったような記憶がある。
米代川の川原で近所の子供達となべっこもよくやった。
私はぜんまいや蕨のおひたしがとても好きでよく食べたものである。
なんともいえない香りと歯ごたえが忘れられない。
もう何十年とつみたての山菜を口にしていないせいか、時々夢にまで出てくる事がある。
食べ物の記憶をたどるとつぎからつぎと出てきてしまう。
あの頃は美味しいとは思っていなかったふきのとうやつくしんぼう、田んぼで袋一杯に捕まえてきてはおかあちゃんに作ってもらったイナゴの佃煮。
栗拾いのあとの栗ごはん。山でよくおやつのように食べた木の実・あけび・・・。いやになるほど食べた今では高級魚のはたはたとぶりっ子。いわずとしれたきりたんぽ、甘酒、つきたてのもち・・・。
生活は決して楽ではなかったはずの時代だが、今思うと食生活は現代よりはるかに豊かだったのではないかと思う。あれほどの御馳走は今となっては、お金を出してもなかなかお目にかかることも難しい。
瞳をキラキラと輝かせて走り回っていた少年時代は30年近く経ったいまでも 全く色あせる事はない。
それどころかますますその色を鮮やかにしているようにさえ感じる。
少年時代への憧れは年を重ねるごとにつよくなり、再び戻ってみたいという欲望に背中をつつかれ手を引っ張られている。
忘れられない匂いというのがある。
私のすんでいた町では3月も終わりの頃になってくると何処からともなく春の匂いが漂ってくる。
東京でその話をしてもあまり信用してくれないのだが、春の匂いは本当にあるのだ。
なんともいえない土のような匂い、あたりはちょうど雪解けが始まりそこら中でしずくの垂れる音がしている。沢沿いには日当たりのよいところだけ土の色が見え、ふきのとうが顔を出し、猫柳が芽吹いている季節。
東京でもたま~に風に運ばれて春の匂いがやってくることがあるのをしっているだろうか。

かたじや殿
春の匂い・・・?
うぅぅぅいやはやどんなだったかですかね。
おそらく感じてはいたのでしょうが、それとは知らないで来ているのでしょう。
かたじや殿は成長の大切な時期に「いのちの」を心身で全体で感じていたんですね。
今となっては、どれもなかなか出来ない体験しょうに。