下見から数日後のとある日曜日。
ひとまず崖沿いに転がっている無数の雑木たちを、崖下の川原まですべて落とす作業をする。端の方から順々と太い幹の部分、ある程度の太さを持つ枝の部分まで、薪として使えそうな雑木はすべていったん川原まで落っことし、しばらく放置しておくこととした。まだ水分を多く含んでいるので川原で乾燥した秋冬を経験させ、搬出までにある程度軽くなってもらうためである。
足場のない崖にはこんな太い(こんなとは、『抱えても手が回らないほど。』という意味)のがゴロゴロしており、川原に突き落とす弾みに一緒になって落とされそうになることしばしば。 何とか踏ん張りながらおおかたの雑木を 下まで落とした頃、時刻は夕方の5時をまわっていた。
ほぼすべての用材を川原に 落下させてから私も川原まで下りていく。川原には4つの大きな山ができている。周りに散らばった細かな枝類をそれぞれの山に寄せて、この日の作業は終了とした。

崖の用材を川原まで落とすという作業をおこなった日から数えて100日ほど経過。日付にして年も変わった1月の20日頃、『傾斜地及び川原からの薪用材搬出大作戦』がスタートした。
初日は、前回記述にもあった傾斜地雑草の中につまれていた長さ1メートルほどに切りそろえられた雑木用材を、そのまま傾斜地を登って農道に待機させた愛車軽トラに積み込むという作業。
全部で8つほどの小山に分けられた用材を 、両の肩に担げるだけ担いでゆっくりと傾斜地を登る。足元に神経を集中させて一歩一歩踏みしめながら登っていく。その様子は、さながら難ルートを試みるアルピニストのようであったと伝えたい。 酸素濃度の極端に薄い頂上付近を歩く様子と 大変似通っていたのではないかと思う。
とにかくハーハーと息が荒い。我ながら体力の低下に愕然とさせられる。若かりし頃の私は、誰にも負けないくらいの体力を有していた はずなのに・・・。
自慢話 のように聞こえるかもしれないが、高校1年生の頃、学園全体での体力測定&運動能力テストがおこなわれた際、私は基礎体力の総合点で学年のトップ。2年生・3年生をあわせた学園全体でも3番目の点数をあげたことがあったほど、体力にはそれなりに自信を持っていた。
その代わりといっては何だが 、英語の単位は3年間を通して一単位も取れなかった。これは誰にもまねのできないことかもしれない。
とにかく、傾斜地の8山分の用材を夕方までに自宅前の空き地に積み上げ、細かな枝類を傾斜地の一箇所に片付けて、初日の作業は終了となった。

2日目。川原に落とした4つの用材の山の一番遠い山から手を付ける。この途方もない量の雑木を片付けるのだから、遠いところからはじめるのは鉄則となる。作業が進むにつれて現場が近くなっていけば少なからず希望が湧いてくるからだ。
まずは50メールほど先にある青い歩行者専用の橋のたもとまでこの雑木を運び出すために、太さ・重量によって担げる限界の長さで切断する。愛用のチェーンソーが唸りを上げ、木屑を飛び散らせて仕事をしてくれたおかげで、ほどなく1山分の用材はそれぞれの重量にみあう長さでカット され橋のたもとまで運ばれるのを待つ。
川原は大小さまざまな大きさの石ころだらけのため、どうしても担いで運ぶしかないのだ。やはりもてるだけの大きさを担いでは運ぶ作業を繰り返すこと50往復 ほどだったろうか、ようやく一山分の運び出しが終了する。
続いて橋の反対側に愛車"軽トラ"を待機させ今度は一輪車を使って橋をこれまた往復しながら積み込み 、荷台を山積みにしては自宅前の空き地まで運ぶという作業を繰り返す。 軽トラ5台分くらいがおよそ1山分に相当する。
2山めをチェーンソーでぶつ切りにし、橋のたもとまで担ぎ上げて2日目の作業は終了とした。 『んっ!なんかこの辺が締まってきたな。』と腹をさする私・・・疲れた。
三日目。全国的に休日であったために2人の娘たちを手伝いとして連れて行くことにした。
まずは前日に橋のたもとまで運んでおいた2山めの用材を、一輪車と娘たちの持てるだけの量で軽トラまで運び、満載しては自宅前まで運ぶという作業を繰り返す。
娘たちが役に立ったのだろうか、なんとなく2山めの運び出しは1山めより速かったように感じた。作業に慣れてきたせいもたぶんにあると思うのだが ・・・。それでも娘たちには機嫌を損ねないように『愛子・真子が手伝ってくれるからはやいねぇ~。』と持ち上げておくことを忘れてはいけない。とくに次女はすぐに飽きて愚図りだす可能性が高いのだ。
私の心配はやはり的中し次女の真子は2山目の運び出しが終盤にさしかかった頃には動作が鈍くなり、あきらかにふてくされてきている様子。もう私のなだめ・すかしも通用しなくなってきていたところに 、救いの手がやってきた。
救いの手の主はちょうど軽トラを止めてある橋の反対側に住んでいた近所のおばちゃんである。『あっらぁ~!お手伝いしてるのぉ~。えらいわねぇ~。ちょっと待ってって。』といって家の中に入っていったおばちゃんは小さなビニール袋2つに、それぞれ同じ量のお菓子と小さなおまけのようなおもちゃを入れて戻ってきた。
『はいっ。これ!』そういって差し出してくれた袋を手にしたわが娘たちはかねがね教えてあるとおりに『ありがとうございます!』と、元気にお礼を言うと私の顔を覗き込んできたのだ。
『えへぇ~。もらっちゃったぁ~。』といわんばかりの顔をして・・・。
これですっかり機嫌の直った次女真子は、見違えるように動きが活発になりアリン子のように往復をしてくれたのだ。まったく調子がいいというかなんというか、さすがは次女である。
すこし早めのお昼と休憩を挟んで午後も作業は続けられ、3つめの山も程なく愛用のチェーンソーによってカットされ橋のたもとまで運ぶ段取りができ、休まず作業続行。3つ目の山ともなると 、橋のたもとまではかなり距離が短くなってきているので作業の進むペースは格段に速くなってきている。
仕事はなんでもそうだが大変なところから手をつけていくというのはやはり鉄則なのだ。私が大工の修行時代よく教えられてきたことのひとつでもある。
3つめの山も橋のたもとから反対側の軽トラに運ぶ作業を繰り返し、ようやく自宅前に整然とならべられたところで娘たちは開放されることになった。
『ごくろうさん。』
仕舞にするにはまだ時間があったので、最後の山を橋のたもとまで運ぶ作業を一人でこなして、三日目も薄暗くなってきたなか無事終了となった。
翌日午前中で最後の運び出しも完了し、永く険しい『傾斜地及び川原からの薪用材搬出大作戦』は幕を閉じたのであった。
最後にひとこと言わせて欲しい。
『薪作りは重労働なのだぁ!』 -完-