2009.02.03(火)
自宅前薪小屋測候所気温 -2.0℃
数日振りに総長の(・・・変換ミスです。)正しくは早朝の南牧村磐戸地区は霜をかぶって、川の向こうの住宅密集地・磐戸宿の家々の屋根は白く輝いています。今朝の気温はマイナス2.0℃と若干の冷え込みですが2月らしくはありません。
おはようございます。
浅間山から近いといえば近いのかもしれない南牧村は、噴火による影響はまったく見られず、どうやら火山灰は村の上空をスルーして埼玉、東京、千葉方面へ流れていったようです。
なぜこの程度の噴火でこれほどまでに報道がなされているのか、私にはよくわかりません。桜島のほうがよほど頻繁に噴煙を上げ、火山灰を降らせていると思いますがほとんど報道されることは無いように感じます。それともこの小規模な噴火は、なにか大きな噴火の予兆なのでしょうか?
私の母の生家が鹿児島市内ということもありますし、父と母は28年間ものあいだ鹿児島県民、細かく言えば奄美大島の島民であったこともあってか鹿児島本土には何度となく訪れたことがあります。
そのなかにはあの桜島の噴火にリアルタイムで遭遇したこともありますが、それはそれはすごいものです。
真昼の時間帯だというのに空は真っ黒な灰に覆われ、瞬く間に市内全体が夕暮れも終わりかけて夜にならんとする時間帯のような薄暗さに変化してゆき、ボタボタと白い灰が降り注ぐ中を地元の人たちは、まるで何事もないかのように傘を差しながら行きかう様子を思い出します。
どの車もヘッドライトをつけて走っている状況を眺めながら、鹿児島の人はすごいなぁなどと感心していたのですが、これがいくつの時の記憶なのかさっぱり思い出せないのです。
小さいときの記憶なのか、中学・高校のころの記憶なのか定かではないのですから困ったものです。
今にして思えば、私が「すごいなぁ。」と感じた噴火程度は鹿児島の人たちにとってみればたいした噴火ではなかったのかもしれませんし、私の記憶そのものが脳みその引き出しから引っ張り出されるたびに脚色を加えられ、知らない間にオーバーな記憶に上書きされてしまっている可能性も高いのかもしれません。
以前このこらむの中でも書き込んだような気がしますが、少年時代の記憶の中の風景が、大人になってその記憶を頼りに再び訪れてみると、ずいぶんとスケールが小さくなっていたなんてことは、きっと誰もが体験しているのではないでしょうか。
友達と度胸試しに飛び越えては競い合った、あの神社裏の大きな堀。ものすごく怖くて『失敗したら痛いだろうなぁ』なんてひざ小僧を震わせていたはずの大きな堀は、大人になっていってみると、まさに拍子抜けするほど小さな水路で、とても堀などと呼べるようなサイズではないのです。それこそまたいで渡れてしまうほど・・・。
冬になると決まって近所の友達とジャンプ台をこしらえては、飽きることなくミニスキーを履いて遊び続けた土手道に続くなが~い坂道も『えっ、ここがあの坂道?』と呆然としてしまうほど小さな小さな坂道だったり。
うちの裏に建っていた大きな製麺工場では雪が降ると工場の屋根から滑り落ちてきた雪が溜まりに溜まって下から積み重なり、毎年地面から屋根までつながって、その中がトンネルのようになって恰好の遊び場となっていたのですが、いざ大人になって訪ねてみると意外なほどこじんまりとした、工場というより作業場という感じの建物だったなんてことがあるんですよね。
なんだか、こうやって思い出すだけでも胸の奥のほうが懐かしさにキュッとした酸味に包まれるものです。とにかくどう思い出しても毎日毎日遊んだことしか思い出せないのですが、勉強してたんですかね少年かたじ屋は?
自宅前薪小屋測候所気温 -2.0℃
数日振りに総長の(・・・変換ミスです。)正しくは早朝の南牧村磐戸地区は霜をかぶって、川の向こうの住宅密集地・磐戸宿の家々の屋根は白く輝いています。今朝の気温はマイナス2.0℃と若干の冷え込みですが2月らしくはありません。
おはようございます。
浅間山から近いといえば近いのかもしれない南牧村は、噴火による影響はまったく見られず、どうやら火山灰は村の上空をスルーして埼玉、東京、千葉方面へ流れていったようです。
なぜこの程度の噴火でこれほどまでに報道がなされているのか、私にはよくわかりません。桜島のほうがよほど頻繁に噴煙を上げ、火山灰を降らせていると思いますがほとんど報道されることは無いように感じます。それともこの小規模な噴火は、なにか大きな噴火の予兆なのでしょうか?
私の母の生家が鹿児島市内ということもありますし、父と母は28年間ものあいだ鹿児島県民、細かく言えば奄美大島の島民であったこともあってか鹿児島本土には何度となく訪れたことがあります。
そのなかにはあの桜島の噴火にリアルタイムで遭遇したこともありますが、それはそれはすごいものです。
真昼の時間帯だというのに空は真っ黒な灰に覆われ、瞬く間に市内全体が夕暮れも終わりかけて夜にならんとする時間帯のような薄暗さに変化してゆき、ボタボタと白い灰が降り注ぐ中を地元の人たちは、まるで何事もないかのように傘を差しながら行きかう様子を思い出します。
どの車もヘッドライトをつけて走っている状況を眺めながら、鹿児島の人はすごいなぁなどと感心していたのですが、これがいくつの時の記憶なのかさっぱり思い出せないのです。
小さいときの記憶なのか、中学・高校のころの記憶なのか定かではないのですから困ったものです。
今にして思えば、私が「すごいなぁ。」と感じた噴火程度は鹿児島の人たちにとってみればたいした噴火ではなかったのかもしれませんし、私の記憶そのものが脳みその引き出しから引っ張り出されるたびに脚色を加えられ、知らない間にオーバーな記憶に上書きされてしまっている可能性も高いのかもしれません。
以前このこらむの中でも書き込んだような気がしますが、少年時代の記憶の中の風景が、大人になってその記憶を頼りに再び訪れてみると、ずいぶんとスケールが小さくなっていたなんてことは、きっと誰もが体験しているのではないでしょうか。
友達と度胸試しに飛び越えては競い合った、あの神社裏の大きな堀。ものすごく怖くて『失敗したら痛いだろうなぁ』なんてひざ小僧を震わせていたはずの大きな堀は、大人になっていってみると、まさに拍子抜けするほど小さな水路で、とても堀などと呼べるようなサイズではないのです。それこそまたいで渡れてしまうほど・・・。
冬になると決まって近所の友達とジャンプ台をこしらえては、飽きることなくミニスキーを履いて遊び続けた土手道に続くなが~い坂道も『えっ、ここがあの坂道?』と呆然としてしまうほど小さな小さな坂道だったり。
うちの裏に建っていた大きな製麺工場では雪が降ると工場の屋根から滑り落ちてきた雪が溜まりに溜まって下から積み重なり、毎年地面から屋根までつながって、その中がトンネルのようになって恰好の遊び場となっていたのですが、いざ大人になって訪ねてみると意外なほどこじんまりとした、工場というより作業場という感じの建物だったなんてことがあるんですよね。
なんだか、こうやって思い出すだけでも胸の奥のほうが懐かしさにキュッとした酸味に包まれるものです。とにかくどう思い出しても毎日毎日遊んだことしか思い出せないのですが、勉強してたんですかね少年かたじ屋は?

ルート45どの
ふと思ったのですが、ほんとうに石垣が低くなっていたり橋が短くなってたせいだったとしたら・・・なんか怖いような気もしますね。すいません!あほなことを考えてしまいました。
それ、すごくよく分かります。何年か前 かなり久しぶりに南牧に帰郷したとき 小·中学校時代の通学路を歩いてみましたが 懐かしさと同時に不思議な違和感を覚えました。歩幅が大きくなったせいなのか、背が高くなったからなのか 当時見ていた景色とは何か違うんですよ。石垣も低く見えましたし 橋も短く感じました。
<今のところ噴火の影響なし>
1.(住宅密集地・磐戸宿)・・・ですか。ウーム。
2.(桜島はもっと頻繁に爆発しているのになんでこんなに騒ぐの か)
やはり首都圏への影響からではないでしょうか。以前伊豆大島
が噴火したときも東京都に帰属していたこともあり、臨時避難
を委託された静岡県稲取港が島民の上陸を「大したことはない」とい って拒否したことがありました。時の鈴木俊一都知事は烈火の如く怒 り、たしか京王プラザホテル全室や都内の主だったホテルの空室を都 が確保することを部下に命じ避難民を自ら東京港へ迎えに行ったこと を思い出しました。大島が東京都であったことが幸いしたのかもしれ ませんがガバナーたる都知事の決断に感銘した記憶があります。今の 行政官にこのような気概のひとかけらもないことが残念であります。
3.(子供の頃の記憶は大きく感じて残る)
西岸良平の「三丁目の夕日」に登場するおじさんが幼い頃すごした田 舎の滝を訪れ、「こんなに小さかったかなあ」と回想する場面があり ます。私の場合も同じでした。「この神社の鳥居はもっと大きかった と思う。よじ登って飛び降りるのが怖かった」
・・・貴兄も同じだったのですね。
<大麻力士(先日のつづき)>
イスラム国(マレーシア、インドネシアなど)では麻薬は極刑(死刑)です。イスラムの教義かどうかわかりませんが中国でも麻薬は同様と聞いています。インドネシアの日本の総領事館で聞いたところどうも昔の阿片戦争からきている。と言っておりました。中国(清国)はアヘンによって列強から国民を荒廃させられた。これに懲りて中国や近隣の東南アジア諸国は麻薬は国を滅ぼすとの考えを強くして大麻や麻薬を厳禁し違反者には極刑をもって臨む法体制を作り上げた。・・ようです。
一方アメリカなどは大麻(マリファナ)には比較的寛大です。現に芸術家(音楽家、作曲家)などは麻薬の力を借りて創作エネルギーを創り出している人もいるようです。日本はアジアですが戦後アメリカの価値観が席捲しましたので中途半端なのかもしれません。
ところで大麻力士にもどりますが、なんでプロ野球やプロサッカーやプロボクシングの選手に大麻がまん延しないのですかね。相撲に限った現象でしょうか。(昔、八百長野球で追放されたプロ野球の選手がいましたけどね。)昔、力士は「一年を10日で暮らすいい男」と言われました。
今もその名残意識があり基本的にヒマをもてあましており場所のない時期などは午前中の数時間の稽古だけであとは六本木なんかでブラブラしているのでしょう。「おい。マリファナやらんか。みんなやってるよ。安くしておく」なんて声をかけられるのでしょう。徒弟制度、親方、おかみさん、なんかも問題なのかもしれませんね。他のプロスポーツ界にはありません。麻薬、麻薬・・と大麻だけを槍玉にあげるのもどうかと思いますね。覚醒効果や創作力向上効果ならタバコや酒も同種類ですよね。
アメリカもかって禁酒法をつくりましたが続きませんでした。
我々日本人だって「酒はご法度」なんてことになったら暴動が起こるでしょうね。人間の快楽追及欲を抑えることは宗教ぐらいですかね。つとめて邪念を振り払いましょう。 合掌 やまねこ 拝