2009.03.21(土)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 1.0℃
きのうの温かな朝はどこへ行ってしまったのか?けさはしっかりと冷えました。といっても気温がマイナスになることはなく、プラスの1℃です。きのうの朝が10℃ですのでその差は実に10℃近くになり、余計に寒く感じてしまうのかもしれません。
おはようございます。
放射冷却のせいか冷え込んだけさは青い空が早くから広がり、朝の日差しもくっきりとした陰影を作り出し、本日の好天を予想するには十分すぎるほどの出だしとなった南牧村です。
昨日あたり、やけに県外ナンバーの自動車が目立つなぁと感じていたのですが、考えてみるとお彼岸ということでお墓参りに帰省してきた方々の車だったんですね。
搬入・設置の作業のために高崎方面へ出向いていた私は、途中にある霊園付近での大渋滞を横目に見ながら『そうか!お彼岸だからかっ!』と妙に納得。道路工事箇所以外での渋滞というのはとってもめずらしく感じる私は、ずらぁ~っと並んでいる反対車線に好奇の視線を送りながら一路目的地へと向かっておりました。
春はお別れの季節でもあり、新しい出会いの季節でもあります。
この地で出会うことのできたたくさんの方々、ほんの一瞬のようなお付き合いとなる人もあればこれからも更なるお付き合いとさせていただきたい方々もいます。
考えると不思議さを感じ、めぐり合わせの妙を感じずにはいられない人との出会い。出会えて知り合えたことに感謝なのです。
最初から、やがてそう遠くない将来に必ずお別れが来ることがわかっていたとしても、この瞬間、与えられた時間を有意義に使いたいと思います。
「どうせいつかはいなくなる人たちだから・・・。」なんていう冷めた見方もあるのかも知れません。わかっている別れの瞬間に立ち会う自分をかわいそうに思って、深く関わることを拒否しようとする考え方もあるのかもしれません。
神様が与えてくれた自分の人生の中で数え切れないほどの出会いの機会を大切にしたいと思えば、どんなに短い出会いであっても与えられた時間を意義のあるものにしていきたいのです。
人と出会うことで自分とは違うものを感じることは実に多く、得ることも実に多いものです。大いに共感でき永きにわたって友人として時間を共有できる人たちに出会う機会もあるでしょうし、残念ながらそう出会いにはならない場合もあるかもしれませんが、この一瞬・一瞬を大切にしていきたいものです。
数え切れないほど、この地球上に暮らしている人たちの中でめぐり合うことができたことに喜びを感じることができれば、対立することも憎しみあうことも、理解できないことも共有できない価値観もほんのちょっとだけ柔らかな気持ちで受け止めることができるのかもしれませんよね。
恐れずに、自分の前に訪れた出会いの機会を大切にしてほしいものです。出会えたことの妙をプラスの出来事として受け止めてほしいのです。自分の知らないすばらしい人たちが、いまも出会いのチャンスに胸をワクワクさせながら立ち止まってくれているのかもしれませんからね。
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 1.0℃
きのうの温かな朝はどこへ行ってしまったのか?けさはしっかりと冷えました。といっても気温がマイナスになることはなく、プラスの1℃です。きのうの朝が10℃ですのでその差は実に10℃近くになり、余計に寒く感じてしまうのかもしれません。
おはようございます。
放射冷却のせいか冷え込んだけさは青い空が早くから広がり、朝の日差しもくっきりとした陰影を作り出し、本日の好天を予想するには十分すぎるほどの出だしとなった南牧村です。
昨日あたり、やけに県外ナンバーの自動車が目立つなぁと感じていたのですが、考えてみるとお彼岸ということでお墓参りに帰省してきた方々の車だったんですね。
搬入・設置の作業のために高崎方面へ出向いていた私は、途中にある霊園付近での大渋滞を横目に見ながら『そうか!お彼岸だからかっ!』と妙に納得。道路工事箇所以外での渋滞というのはとってもめずらしく感じる私は、ずらぁ~っと並んでいる反対車線に好奇の視線を送りながら一路目的地へと向かっておりました。
春はお別れの季節でもあり、新しい出会いの季節でもあります。
この地で出会うことのできたたくさんの方々、ほんの一瞬のようなお付き合いとなる人もあればこれからも更なるお付き合いとさせていただきたい方々もいます。
考えると不思議さを感じ、めぐり合わせの妙を感じずにはいられない人との出会い。出会えて知り合えたことに感謝なのです。
最初から、やがてそう遠くない将来に必ずお別れが来ることがわかっていたとしても、この瞬間、与えられた時間を有意義に使いたいと思います。
「どうせいつかはいなくなる人たちだから・・・。」なんていう冷めた見方もあるのかも知れません。わかっている別れの瞬間に立ち会う自分をかわいそうに思って、深く関わることを拒否しようとする考え方もあるのかもしれません。
神様が与えてくれた自分の人生の中で数え切れないほどの出会いの機会を大切にしたいと思えば、どんなに短い出会いであっても与えられた時間を意義のあるものにしていきたいのです。
人と出会うことで自分とは違うものを感じることは実に多く、得ることも実に多いものです。大いに共感でき永きにわたって友人として時間を共有できる人たちに出会う機会もあるでしょうし、残念ながらそう出会いにはならない場合もあるかもしれませんが、この一瞬・一瞬を大切にしていきたいものです。
数え切れないほど、この地球上に暮らしている人たちの中でめぐり合うことができたことに喜びを感じることができれば、対立することも憎しみあうことも、理解できないことも共有できない価値観もほんのちょっとだけ柔らかな気持ちで受け止めることができるのかもしれませんよね。
恐れずに、自分の前に訪れた出会いの機会を大切にしてほしいものです。出会えたことの妙をプラスの出来事として受け止めてほしいのです。自分の知らないすばらしい人たちが、いまも出会いのチャンスに胸をワクワクさせながら立ち止まってくれているのかもしれませんからね。

<さようなら>
有名な日本語だが貴兄の説どおり「別離」ではないよね。
英語でも「see you again」(またね)だもの。
合掌 やまねこ 拝
どらごんふりゃいどの
さすがはどらごんふりゃいどの、さらりとかっこいいですねぇ~!まだまだ世界中には数え切れないほどの面白い人たちがいるのかと思うと、なんだか出会って見たい気持ちが沸いてきます。まあどらごんふりゃいどの以上の変わり者はそんなにいるとは思えませんが・・・。私にいわれたくはないか。
「さようなら」って言いたくないんだな、昔から。
僕の中ではねえ、別れるって感覚はない。
必ずどこかでまた会えるって本気で思うから、別れ際には「さよなら」って言わない。
「またねっ!」とか、近所の人だったら「あとでねっ!」とか…。
だから僕もkatajiyaさんと同じように、であった人を大切にしたいって思ってます。