2009年4月アーカイブ

2009.04.30(木)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 5.5℃



暦通り稼動している方には本日木曜日はいつもの木曜日。あしたもいつもの金曜日となります。
なかにはきのうから連休に突入という方もいらっしゃることとは思いますが、我が家もけさはいつも通りの木曜日の朝を迎えております。

おはようございます。
体中に筋肉痛を伴うけさ、連日の好天をそのまま引き継ぐように早くから眩しく日が射し、5時すぎには畑仕事をする地元でも有名な"セッコウがいい"おじさんの姿。"セッコウがいい"とはおそらくよく働くとか、よく動くという意味があるらしいのです。




祝日となった昨日、かたじ屋一家も"セッコウよく"薪作りの作業に精をだしました。
おかげでけさは体中が筋肉痛、お尻の筋肉や太ももの筋肉、腕の筋肉に手のひらの筋肉と、いたるところが筋肉痛となっています。家内も朝から筋肉痛だそうです。

昨年、薪割りされて薪小屋にストックされていた1年分の薪は、現在ストーブのそばに積まれている数本を最後に今シーズン分は終了となります。ほぼぴったりの数量だったようです。

梅雨が来る前に来シーズン分の薪を作って薪小屋および薪置き場のスペースを埋め尽くしておかなくてはなりませんので、昨日は家内とこぐまくんを手伝いに、まずは山のように積まれて農道二号線横の空き地に並んでいる用材の山一列分を実際に使用する長さでの玉切り作業。

地面から2メートル付近にまで積み上げられた用材は荒取りの寸法でカットされていますので120~150センチほどあります。これを実際に薪ストーブに入る長さ約40センチ強で玉切りしながら上から地面に落としていきます。

地上では回収・積み込み班の家内とこぐまくんが軽トラの荷台に積み込み、満載となった時点で軽トラくんを移動、母屋横の薪小屋手前にゴロゴロと転がして薪割り前の玉切り材の山を作っていくのです。

5列ほどある農道二号線脇の空き地に積み上げられた薪用材の山。
ひとつの列をすべて玉切りして薪小屋前に移動するのにかかった時間はあさ8時過ぎから夕方前の午後4時ごろですからほぼ一日がかりでした。

大粒の汗を滴らせ、狂ったようにチェーンソーを振るう私。次から次に目の前に現れる用材をばったばったと定寸でカットしていきます。

とんでもなく太いのもあればバットくらいの細いのもありますし、40センチほどにカットされてもなお持ち上がらないほどに比重の高い鉄の固まりかと思わせるようなとてつもなく重いものもあります。

チェーンソーの刃は摩擦で熱くなり、瞬く間に満タンの燃料が空となって補充。切れが悪くなった刃先を研ぎなおしてまた格闘・・・・。

軽トラくんの荷台に玉切り材を積み込んでは薪小屋横に運び込むこと6往復。ようやく一列分の用材が玉切りされたことになりました。積み下ろしに際しては家内とこぐまくんの多大なる貢献があり、無事に薪作りの第一段階が終了なのです。お疲れ様でした!

時間的にも日が暮れるまでまだありましたので、引き続き第二段階となる玉切り材の薪割り作業に取り掛かった私でしたが、目の前にうずたかく積み上げられている薪割り前の玉切り材の山を前にだんだんとその気力を失い、10玉ほど薪割りした頃にはすっかり薪割り斧を振り上げることができなくなってしまいました。

見回してみるとそこには家内やこぐまくんの姿はなく、よ~く母屋の中を覗き込んでみるとリビングのソファーでくつろぎながら談笑している姿。さっさと引き上げていたのです!もはやかろうじてつながっていた緊張の糸もプツリと音を立てるように切れました。

『仕舞いだぁ~!』
リビングでくつろぐ家内にまで届けとばかりに大きな声で号令をかけ、一人さびしく薪割り斧を片付ける私。こぐまくんが出したまま放り投げていった真似事の薪割り道具を拾い集めて一日の作業を終了といたしました。それにしても・・・・つかれた。




外はまだ明るさが残る中、ご褒美とばかりに一番風呂。
窓を全開にして明るい外の景色を眺めながらの入浴は格別なものがあります。まるで露天風呂にでも入っているかのよう。

湯気の向こうから丸いお盆に載った徳利とお猪口がぷかぷかと・・・・来るはずもありませんね。小さな湯船ですから(浴室自体は不必要に広いのです。)湯気の向こうなどという概念は存在しないのです。仕方がないので風呂上りにチーズをつまみに頂きました。

体中に筋肉痛をもたらしましたが、充実の昭和の日となりました。
ちなみに文中に登場してこなかった娘たちですが、長女愛子はテニス部の新人戦応援部隊としての参加、次女眞子は汗水たらす両親と弟を横目にひたすら一輪車の練習に明け暮れておりました。さすがはマイペースの次女なのです。
2009.04.29(水)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 3.5℃



あれっ、きょうは祝日か!
ということで、本日は「みどりの日」?ではなくて、今は「昭和の日」という名称に変更されて日本国の祝日となっております。

ではみどりの日はなくなってしまったのかというとそうでもないらしく、ちゃっかり5月4日にスライドして祝日の一日を担当しているようです。なんだか最近の祝日・旗日というのはわかり辛くなってきています。

〇月の第3月曜日が祝日だとか、たまに出現するらしいという「国民の休日」という名称の謎の休日もあるらしく、なんだか分かりづらいところが多いのです。

慣れるものなのかもしれませんが、やはり以前までの日付固定式の祝祭日のほうがいいような気がします。"何月何日は何の日"のほうが記憶にしっかりと残りますし、記念日らしいのです。慣れていくものなのかもしれませんが・・・・。

さて、本日の南牧村の出だしはというと・・・・。
今朝も空は雲がなく、よく晴れ渡っています。よい天気になりそうな気配。

中学生となった長女愛子は、入部したテニス部の新人戦とやらがあるらしく早朝からモコモコと起き上がってきました。AM6:30には学校に集合してAM7:00に学校を出発だそうです。

新人戦といっても1年生たちが出場するわけではなく、いわゆる新3年生たちのための新人戦ということですから応援部隊での参加のようです。

始まったばかりの中学校生活、本人ももちろん初めてのことが多く慣れていかなくてはいけないことがたくさんあると思いますが、初めての中学生の親となる私たちにとっても戸惑うこと多かりしなのです。

ちょいと首を傾げてみたくなるようなことも見えてきましたので、もう少し様子を見てみようかと思っています。
2009.04.28(火)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 2.0℃



瓦が並ぶかたじ屋母屋の屋根からたなびく青白い煙。
やがてその色が薄くなり無色透明ながらもその向こうの裏山はゆらゆらと陽炎のように揺れいている朝6時。

見上げる空は真っ青です。雲ひとっつありません。確認のためぐるりと体を回してみましたが、雲はひとつもありません。快晴となった南牧村からおはようございます。

けさは昨朝よりもさらに冷えて、朝の観測時点でプラスの2℃。
たまらずきょうも煙たなびく朝となりました。

立ち上る煙は風の影響を受けることなくまっすぐに立ち昇り、玄関を出ると薪を燃やしたときにでる特有の香りが鼻をくすぐります。特に樺類やバラ科の樹木を薪としたときにはなんともいえない甘い香りがするのです。桜はその中でもピカ一の甘くよい香り、燻製にはサクラのチップが最高といわれるのがよく分かるような気がします。




あんまりよい天気なので本日は祝日か?と勘違いしてしまいそうになりますが、ここ南牧村ではなんでもない普通の火曜日のようです。

とくに思い浮かぶこともありませんのできょうはこんなもんでお開きとしましょう。それにしてもいい天気です。
2009.04.27(月)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 4.0℃



けさはいきなりの外気温4.0℃。
外は5時すぎにはすっかり明るく山の上のほうにはくっきりとした日が射しているのですが、気温は4.0℃とちょいと寒いほどの朝となりました。

さすがに我が家の薪ストーブもけさは臨時運転を開始して、ストーブの上では子供たちの朝食となるホットケーキが家中に甘い香りを漂わせています。

おはようございます。外はとってもいい天気!の南牧村です。
このところ書き込む機会の多くなっているやまの新緑は、そろそろ見ごろを迎えたといってもよいかもしれません。雑木の多く生育する山肌には明るい緑色がかがやくようにゆれて、県道45号線を走る車内では「うわぁ~!」とか「きれいだねぇ~!」の言葉が飛び交います。

私が一番好きな景色かもしれません。なんだかうれしくなってしまうのはなぜなんでしょう?




しばらくぶりに足を踏み入れたかたじや母屋の裏に広がる傾斜地、通称「裏山」。

こぐまくんと次女の真子を引き連れて、伸びてしまっていたタラの木を下芽の手前で剪定して穴を掘った地面に挿していく作業をしてみました。

全部で20本ほど育っていた山のタラ木はトゲトゲの木肌をしていますので、厚手の手袋をして剪定しては2人の子分たちが掘った穴に挿し込んで土を戻して踏み固めるを繰り返すと瞬く間に20本の倍40本ものタラ木密集地帯が出現です。

聞いた話によると、このタラ木という植物は大変生き残る力の強い植物のようで、切った木をそのまま土に挿しておくだけで根を広げて育っていくのだそうです。

来年の春には40本ものたらっぺが収穫できることになるかもしれません。

でもそんなにたくさん食べるものでもありませんよねたらっぺというのは。せいぜい2~3個も天ぷらで頂ければ十分のような気もします。それにしてもあの先端の膨らんだ葉芽の部分を食べようと思ったのはいったい誰だったんでしょうか?よくぞ食べる気になったものです。

タラ木の増殖計画を終了したついでに、毎年収穫させていただいている蕨の様子を見に行ってみると、もう沢山の蕨が葉を広げて育ってしまっていました。ちょっと遅かったのです。

それでも手持ちのざるに山になるほどの蕨を収穫。今年も私の大好きな蕨のおひたしを堪能することができました。

なんとか保存しておきたいと毎年考えてはいるのですが、保存するまでもなく全部食べちゃうのですからどうにもなりません。季節の恵みに感謝!の春真っ盛りなのです。
2009.04.25(土)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 9.0℃



トゥデー・イズ・レイニー・デー。

ということできょうはシトシト雨降りの南牧村です。
例によって上空58メートル付近から上は真っ白い雨霧が、山を含めたすべての景色を飲み込んで覆いつくしております。

きょうは一日中こんな天気、シトシトと降り続くようです。
週末お出かけの予定を立てていた方も多かったことと思いますが、南牧村方面へは明日以降のほうがよいだろうと思います。よろしければご一考を!




東北地方・海坂藩を舞台とした時代小説といえば藤沢周平。

登場人物、牧文四郎・おふく・小和田逸平・島崎与之助といえば、代表作でもある長編「蝉しぐれ」。数年前にはNHK金曜時代劇の題材として取り上げられ、のちに配役こそ変わりましたが映画にもなった時代小説の傑作といわれた作品です。

普段ほとんど小説物を読むことがない私ですが、しばらくぶりにこの「蝉しぐれ」を読みふけることとなりました。

きっかけはふらっと立ち寄った古本屋さん。何の気なしに、なにを買うというつもりも無く、ずらりと並ぶ書籍・単行本・写真集などなどを背表紙で確認しながら、これはと思うものを棚から抜き取りパラパラと流しては元に戻すの繰り返し。

文庫本がこれでもかと並んでいるコーナーに入ったとき目に入ったのは"時代小説"と書かれている案内の札だったのです。ぽ~んっと私の頭の中には「蝉しぐれ」を読んでみたいという欲求が湧き上がり、引き寄せられるように藤沢周平作品が集められているスポットに・・・・。

時代劇としてはNHK金曜時代劇のシリーズで観ていたのですが、どうしてもあの描写の元となった小説を活字で読んでみたかったのです。

古本屋さんの棚には沢山の藤沢周平作品がならんおり、その中にはお目当ての「蝉しぐれ」ももちろん並んでいましたので、迷うことなく棚から抜き取りついでにもう2~3冊と思い物色です。


読み始めたその活字からは、生き生きとした自然の様子や緑生い茂る東北の四季が鮮やかに浮かび、まるで小説の中で描かれている風までも共有しているかのような錯覚を感じるほどなのです。

切ないほどに淡くひたむきな文四郎とおふくの運命、友人たちとの固い友情、取り巻く環境に翻弄されながらも確かに前を向いて進む少年剣士だった文四郎の人生。そして城下組屋敷で繰り広げられる武士の暮らしの細細。

長編でしたが一気に読み終え、大変に満足しております。
すがすがしさと胸を締め付けるような愛惜を感じずには居られない藤沢周平の作品でした。

つぎは「秘太刀馬の骨」を読む予定となっております。出だしはなかなか面白そうですぞ!
2009.04.24(金)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 6.5℃


おはようございます。
南牧村は今朝もやや肌寒い朝。しか~し、早くからしっかりと日が射し込み新緑が目立つようになってきたまわりの山肌を鮮やかに浮かび上がらせています。

まだまだ萌黄色満開!とまではいきませんが、樹種によっては黄緑色をした眩しいほどの新葉がいっぱいにその葉を広げて気持ちよさそうに伸びをしています。ここかたじ屋母屋から見えている銀杏は4分ほど、胡桃は6分程度でしょうか、川向こうの大ケヤキやまだまだ3分、作業場横の杏が7分ほど葉を広げている状況となっています。

おそらくこの月末からのGWの期間中は山が萌えてかがやく景色が堪能できるのではないでしょうか。一年で一番山がかがやく季節です。いい季節がやってきました。




もうずいぶんと遡っても思い出せないほど、私かたじ屋は前後不覚、泥酔状態、ヘベレケ状態になっていないなぁ・・・と妙に感心してしまう此の頃。

草薙君はどうしちゃったんでしょうかね。
超有名人ですからTVにまで取り上げられ、作業場で流れている天下のNHKラジオでは国会中継中にも関わらずニュース速報としてスポットが入るほどの関心の高さです。

なんで裸に?と聞かれても困っちゃうだろうと思います。なんで公園に?と聞かれても答えようがないと思います。なんてったってヘベレケ状態だったのでしょうから憶えているわけがないのです。

皆さまにおかれましては(南牧村・村長さん得意の言い回しを真似てみました。)品行方正を疑うことがないと思われる私かたじ屋も、その昔は何度も何度もこのヘベレケ状態で華の都TOKYOは台東区、千代田区、葛飾区、たまぁに港区あたりをさまよったものです。

もうずいぶんと記憶を失うなんて事がなくなりました。

よく通った根津のモツ焼き屋「銀泉」でのどこのだれだかわからない方との『日本酒呑み比べ選手権・呑み負けたほうがお代を払う大会』では、途中からの記憶がまったく無いまま自宅アパートの数メートル手前路上に朝まで転がっていた私。

気が付けがすぐそばにはそこまで乗ってきたと思われる自転車が電柱のそばに横倒し、前かごはへし曲がり前輪の泥よけも無残な姿・・・・な~んてこともあったっけ。

上野・不忍池。池のほとりに立つコンクリート台(高さ1.5メートル)の上によじ登り大声で歌い騒ぎに騒いだらしい午前2時過ぎ。翌日友人から教えられるまでそのような出来事があったことなど記憶にありませんでした。

いまなら即通報、警察のご厄介なんてことのなっていたのかもしれません。

大都会の片隅で呑まれ続けていた酒との付き合い方も、歳とともに呑むほうに回れるようになってこれたのかもしれません。まあ、この歳で呑まれ続けていたらとてもナイスミドルな大人にはなれっこありませんからね。

草薙君はどうしのかって・・・?
呑みたかったんでしょう!酔いたかったんでしょう!ヘベレケになりたかったんでしょう!

2009.04.23(木)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 6.5℃



ちょっぴり肌寒いあさです。
気温は薪小屋測候所調べで6.5℃、天気はおおむね晴れ模様ですが雲は多く見えています。

雲と雲のあいだから青い空がしっかりと見えています。
まったく動きがないように見える雲ですが、こちらが完全に動きを止めて視点を一点に集中してみると・・・・動いていますねゆっくりと。西から東の方角にゆっくりと移動しているのが確認できました。

おはようございます。ここ南牧村は雲は多めですが朝から晴れて外は大変明るく日が差し込んでいます。ちょっと肌寒さはありますが気持ちのよい朝となりました。

けさは特に思い浮かぶことがありません。

今私の頭の中にあるものといえば・・・・現在制作中の食器棚のこと。
最終段階に入っていますので細かな調整等を考慮しても数日の後には完成となりそうなのです。

組み上げられるようになるまでが最も重要な作業となり、出来上がりの納まりを十分に計算しながら進めていくわけですが、替わりはありませんので間違いは許されない作業となります。

何度やってもチェックが終わって、予定通りに組みあがりパーツパーツに誤差が出ていないことを確認するまでは緊張するものなのです。

さてきょうはこの緊張の時間を体験することになりますが、無事に組みあがりますように!
2009.04.22(水)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 11.5℃



夕方近くになるとかなり本格的な降りとなり、作業場のナマコ屋根をやかましく叩く音。
スピーカーから流れるお気に入りの曲、6度違いというちょっと変わった深みのある独特のハーモニーが聞こえなくなるほどなのです。

ハーモニーを奏でているのは、今は解散してそれぞれの道に分かれて活動している北海道出身のフォークデュオ。日本のサイモン&ガーファンクルと呼ばれていたこともある美しいハーモニーと素朴なやさしさが織り込まれた楽曲を多く生み出した二人組みなのです。

もう30年来のつきあいになるんです。
はじめてそのグループを知ったのは小学校の6年生。本土(鹿児島)から転勤してきた教師の息子、名前は覚えていませんがその少年から教えてもらった1曲がはじまりだったと記憶しています。

淡い恋心を歌ったその曲とそれまで聞いたことのない美しい歌声に絶妙のハーモニー。やがて中学生になる頃にはその人気が全国的に高いことを知るようになり、特に沖縄を中心とした南西諸島では絶大なる人気を誇っていることを知るようになるのです。

沖縄有線放送では当時、出すシングル出すシングルすべてリクエスト数一位を記録して、たしか10曲連続とかいう記録をつくった時期もあったそうです。そしてその時期には感謝の意味を込めて、沖縄を題材にした曲をシングルカットなんてこともあったんです。

大きなヒット曲というのは数えるほどしかないグループでしたが、当時の年間コンサート数トップクラスでいつも満員、数年前に解散するときまで開催されるコンサートはいつも満員で、芸能界の七不思議とまでうわさされていたほどなのです。

北海道出身という二人の育った環境が織りなす数々の楽曲には、不思議なあたたかさと素朴なやさしさが感じられることが多かったように思います。その感性がきっと目立たないけれどもたくさんの女性ファンを掴んでいたのかもしれません。




大人になるに連れて、このグループのファンであることをどちらかというと表には出さなくなってきていた私かたじ屋。

こんな私ですからだれがどう見ても緑のにおいがする素朴さとやさしさが感じられるこのフォークデュオの歌声を好んで聞いているというのは不釣合いであること位、言われなくても分かっているつもりなのです。

寮生活をしながら通った高校時代。同じ寮舎の同室となった北海道出身の先輩を最後に出会うことがなかったこのグループの曲を好んで聴くという野郎の存在。

そんな変わり者野郎に出会ったのは2年ちょっと前のかたじ屋作業場内でした。

いつものように手持ちのCDアルバムをBGMにセットして作業中、受け持ち地区の見回りにやってきたのは2年まえの初夏の頃。その年の春配属となった駐在さんだったのです。

作業場内の音響設備(といってもAIWAの安物コンポもどきですが)が置かれていた棚に無造作に並んでいたお気に入りのCDを手にとってジャケットを眺めたその瞬間、突然に素っ頓狂な声をあげ『えぇ~っ!〇〇〇〇〇聴くんですかっ?』と私のほうを睨みつけるのです。

先方の職業が駐在さんですから、とっさに私の頭に浮かんだのは『なんだ?なんだ・なんだ?捕まるのか?このグループのCDを持っていると捕まるのか?』というもの。すぐさまその場を逃れるための逃走経路を頭の中で順序立て、しっかりと身構える私。

駐在さんから返ってきた言葉は『いや~、びっくりしたなぁ~!オレもよく聴くんですよぉ、〇〇〇〇〇の曲は。』

びっくりしたのはこっちのほうなのです。


まさかこんな田舎の山村で同じ趣味を持ち合わせた野郎と出会うとは思ってもいませんでした。長く住んでいた東京でも一度も出会ったことがなかったあのフォークデュオの曲を好むという野郎の存在でしたので、驚くやらなんだか嬉しいやら・・・・。

それ以来の交流となった駐在さん。私から見ればまだまだカタコトでしかないながらもダジャレを操る彼にとっては、私かたじ屋の"繊細かつ高度な"ダジャレが尊敬に値したと見え、いつしか私を支障と呼ぶように・・・変換ミスですね、正しくは「師匠」と呼ぶようになり、多いときには週に3度も暇つぶしに作業場を訪れるようになったのでした。

馬鹿話をぐだぐだと話し、少年の頃のように馬鹿笑いするいい歳こいた男2人。主である私よりも先に母屋に入り、勝手に上がりこんではカウンターでこーしーを要求する無作法。憎めない男でした。

私にとっては旧知の友人のような気さえする気の合う男でしたが、やはり駐在さんには任期がありこの春、新天地へと赴任していくこととなったのです。


転勤が決まった翌日だったでしょうか、それまで慌しかったのか一週間以上きていなかった駐在さんが、またしても暇つぶしに現れたのは・・・。

転勤先が決まったことやら、てんで関係のない馬鹿話やら、ご家族の辛かったことなどなど、すこしは上達したダジャレを交えながらいつものように作業場で暇をつぶす"のびた君"のような駐在さんと私。

ちょうど背中を向けていた私の背後で突然、嗚咽するようにしゃくりあげる声。
振り返ると、材料に腰をかけたままメガネを取り、こらえようと必死に歯を食いしばりながらもとめどなくあふれる涙を拭うのびた君の姿がありました。『うぐっ・うぐっ』と声にならない声でしゃくりあげぼろぼろと泣いていたのです。

男がこらえきれない涙を流す姿というのをしばらく見ていなかったせいか、気の効いた言葉のひとつもかけてあげられなかった私。いろんな思いがあったんだろうと想像します。

家族のこと、特にお子さんたちへの思いや気持ちが抑えきれなかったのかもしれません。自分をふがいないと責めていたのかもしれません。表には出さない男でしたがいろいろな思いが駆け巡ったのだろうと思います。

私の高度なダジャレが聞けなくなるという思いも片隅くらいにはあったことと思います。いや!大いにあったと思いたいのです。なんてったって師匠ですからね。




引越しの当日、お手伝いに集まった職場の方、地域の方たちを前に堂々と駐在さんらしいあいさつをして出発していってから一ヶ月近くが経とうとしています。やはり毎度私の仕事を邪魔しにきていたオジャマ虫が来なくなるというのはさびしい限りなのです。

転任先でのますますの活躍を祈ります。
2009.04.21(火)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 11.5℃



おはようございます。

4月21日 午前6時現在、南牧村はと~っても生ぬるい空気に包み込まれております。

いつもならば日が差し始めてすっかり明るいこの時間ですが、本日はまだ薄暗さが残りまったりと覆いかぶさるような朝の気配なのです。

前方の斯界はなんとか確保できておりますが、上方への視界は推定で30.6メートル。ひときわ柔らかそうな、ベテラン的屋に仕込まれた新米の的屋兄ちゃんが作ったゆる~く巻いて大きく見せようとしている綿菓子のようなふわふわのモヤが上空の視界を遮り山の木々に絡みつく今朝。(ものすごくわかりにくい例えをしてしまいました。すみません。)

まさに梅雨時期の南牧村の気配と同じです。違っているのは落葉広葉樹たちにまだたっぷりの葉が茂っていないこと、これからいよいよ山は萌黄色にかがやく時期を迎えることになります。




以前にも書き込んだことがありますが、私かたじ屋若かりし頃の貧乏自転車旅行。

野宿をしながら、友人の家に厄介になりながらの走行距離1000キロ弱に及ぶ道のりのなかで、何度となく厄介になった黄土色の高級雨具"ポンチョ"はアシックス社製の高品質なのです。

ここ南牧村でも台風災害時の消防団出動命令の際に、降りしきる強い雨の中、私の体を保護し活躍してくれていた、私にとっては長年にわたって苦楽を共にしてきた必須のアイテムのひとつなのです。


この数日下り坂を辿っている南牧村の天候の中、自転車通学を続ける長女愛子。

昨日も降りしきる冷たい霧雨に見舞われながらの帰宅。家内が用意してあった透明のビニール雨合羽は最初の使用時点で早くも長女愛子からのダメ出しを食らって玄関土間の片隅にぶら下がったままなのです。

そこで登場してきたのが私のアシックス社製高級雨具"ポンチョ"というわけなのです。

はやくもこのアシックス社製高級雨具"ポンチョ"を横取りしようとたくらむ長女愛子と、なんとか阻止しようと焦る私の間で火花が散り険悪なムードに・・・・。

まあ、実際にはそこまでの攻防はありませんが、それにしても私としてはこの機会に乗じてポンチョを愛子のものにされてはたまらないとばかりに、朝から何度も何度もしつこいほどに『この高級ポンチョはおとーさんの物だから貸してあげるだけだからな!』と防衛線を張り巡らせるかのように何本もの釘を周囲に打ち込みます。

背中に荷物を背負っていてもすっぽりと隠してくれ、自転車であればハンドルまですっかり覆って走行することもできますので、雨具としては大変に使い勝手がよいのです。しかもアシックス社製の高級・・・・ちょっとしつこいですね。でもアシックスなのです!

今一番の心配事は、あの黄土色の私のポンチョのどこかに長女の愛子がマジックで【南牧中 佐藤愛子】なんて名前を書き込むという謀反を起こすのではないかということ。じつに心配です。
2009.04.20(月)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 8.0℃



私が母屋2階の"雑魚寝の間"から降りてくるのが5:30過ぎ。
外はすっかり明るく薄暗さはまったく残っていません。

けさはうす~く霞がかかったような白ぼけたその向こう側に、やはりかすんだような青い空が広がっているのを確認。標高が高くなっているためか見渡す山肌のところどころにはいまだに山桜と思しき白く輝く箇所がひときわ目立つ今朝の南牧村です。

おはようございます。
南牧村は週明けての月曜日、東の山並みのすこし下がった股のような箇所からは朝日の一部がキラキラと光を放ち、数分後には姿を見せる準備をしている様子です。今日もよく晴れそうな朝となっています。

と思ったら、天気予報では全国>関東・信越>群馬県>南部(前橋)>南牧村と辿っていくと一日中曇りのマークとなっています。どうやら天気は下り坂を降りているようなのです。




このところ練習に参加できていなかった吹奏楽団の練習。昨日午前中の練習に数週間ぶりに参加してきました。

ろくに練習もしていなかったのですからうまく吹けるはずもなく、マウスピースをあてがう唇の筋肉も息を吹き込むほっぺたの筋肉もすぐに麻痺してきてうまく震えないのです。

筋肉の酸欠状態に反省するばかり、日頃の練習が重要なんですねぇ。

それでも新たに購入してあったマウスピースのおかげか、出る音はなんだか以前のマウスピースから出る音よりもやわらかさがあるような無いような気がするちょっとした変化を感じての練習となりました。

娘さんの受験やらで長らくお休みをしていたメンバーの方も久しぶりの練習参加で、昨日はちょっと賑やかで厚みのある練習音に。

終了の12時が来てももう少しやりたい気分がいっぱいで、こんな私の坊主頭でさえ、後ろ髪を引っ張られているような気持ちを残しての解散となりました。いや~!もうちょっとやりたかったのです。

本当にまだまだ未熟な演奏ではありますが、数少ない経験者のサポートの中、楽器演奏初心者たちはゆっくりゆっくりと曲を仕上ていっているのです。みんなで演奏を作り上げていくというのは楽しいものです。

今週はれんしゅうするぞ~!おぉ~!
2009.04.18(土)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 10.5℃



あっという間に過ぎていく1週間。
ほんとうに日々の経過がはやく感じます。

まごまごしていると置いてきぼりを食いそうなほど速いスピードで日々が過ぎていき、一昨日あたりが月曜日だったような感覚で今日の土曜日を迎えている私かたじ屋なのです。

強弱をつけながらでしたが、ほぼ一日中降り続いていた雨も今朝には上がり、名残のように真っ白で濃い目のモヤがたっぷり残っている今朝の南牧村。庭先の木々の葉にはたくさんの水滴が張り付いてこのところ続いていた乾燥状態に一息ついた様子。

ほっとしたような柔らかな朝です。

おはようございます。
冷たい雨が降ったせいか昨夕にはしばらくぶりに薪ストーブが活躍し、まだまだ長期休暇を与えるわけにはいかないこの時期。梅雨が明けるまではこらえきれずに臨時運転をお願いすることもあろうかと思いますので今しばらくは待機していてもらわなくてはなりません。

村内の住民によっては梅雨明けまでコタツを仕舞うことはないという人もいると聞いたときには『えぇ~!』なんて大げさに驚いたものでしたが、何年か住んでみるとその訳がわかってきたような気がします。




今週末も家内は本日夕方から、私と子供たちはあす日曜日のお昼ごろから家内の実家である東京シティの片田舎「足立区」へといくことになりますが、この東京シティの水道水のまずいこと・・・・。

村内かたじ屋の水道水は現在、千原水道組合で管理している山の水源からの供給となっています。年に何度か水源地の清掃などで現場まで行くことがありますが、ほとんど無添加に近い(最低限の殺菌・消毒は行っています。)山の天然水。

ペットボトルに入れ替えて「南牧村の天然水」などと銘打って、都市部を中心に売り出せば、間違いなくヒット商品になると予感させるほどクリアーでおいしい水が自宅蛇口をひねれば流れ出てくるのです。

こんな贅沢は都会では考えられません。500ml¥150-で売っているような水が蛇口から出てくるんですからねぇ。しかも水道料金は信じられないような金額・・・それも安くて信じられないような金額なのです。

あまり具体的な金額は申し上げられませんが、どんなにたくさんの水を使っても月々の定額制。およそ日本国の貨幣種最大の金額とだけ申し上げておきます。あまり具体的な金額は申し上げられませんので、これ以上はご想像ください。

そして我が家では500ml¥150-で売っているような水をつかって洗車までしているのです!すごいですねぇ~。
2009.04.17(金)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 10.0℃



本日はあさから弱い雨・・・。

気温のわりに冷たく感じる弱い雨です。
上空は真っ白いモヤ。梅雨時期のような気配漂う南牧村から、おはようございます。

今日は早朝からこなさなくてはならぬ雑用あり!
拙者は朝のあいさつのみお伝えして、失礼つかまつる。

時代小説の読み過ぎかもな・・・・。
2009.04.16(木)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 8.0℃


おはようございます。

昨日の南牧村は、初夏のような日差しと時折吹く強い風に見舞われ、つむじ風の中をサクラや桃の花びらがグルグルと巻き上げられていくという不思議な現象まで見られた一日となりました。

今現在のかたじ屋母屋から見える外の風景は穏やかな日差しに射し込まれた庭の木々。風に揺れている様子もありません。ぶらっと自転車に乗って出かけてみたくなるようなそんな穏やかな朝となっています。




ひょんなことから知ることになる見たこともあったこともない人の「南牧村 びれっじ・ぴーぷる」愛読の知らせ。

最近よく聞かされるのは、村外や県外、あるいは国外に住んでいる(ちょっと大きく出てみました!)ここ南牧村と何らかのつながりや縁のある方々からのもので、南牧の様子やきょうはどんな天気なのか?南牧の季節の様子などなど楽しみにしているとのお言葉。

どこかで誰かが、この稚拙な季節描写であっても『あ~、南牧村はサクラがようやく咲いたんだなぁ・・・。』という感じで、思い描いていただけているかと思うと、ネタ切れに苦しみながらも継続していくことの大切さを感じさせられているのです。

なかには私かたじ屋の高度にして繊細な"青年ギャグ"(おやじギャグとは呼ばせないのだ!)の極意を盗もうと手ぐすね引いて覗き込んでいる輩も居るのかもしれません。

43年の人生の中で培われてきたこの"青年ギャグ"の数々は、このこらむ内では抗議が殺到するためにできるだけ控えるようにしていますのでたまにしか披露できないでいますが、それでも厳しきまなざしの読者の皆さんのタイミングを盗むようにして織り込んでいく
よう努めてはいるのです。

さて、次なる"青年ギャグ"はどのタイミングで飛び出してくるのでしょう。
お見逃しの無いように。 がっはっはっはっは!
2009.04.15(水)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 12.0℃


夜には本降りとなって音を立てながら降っていた昨日の雨。
けさはすっかりと上がり、外は雨上がり特有のまったりとした空気に包まれ、ときおり吹き抜ける弱い風にはまだたっぷりの潤いが含まれています。

西の方角に間近に見えている杉山の山肌には、東の方角から射し込んできた日差しに照らされて、上半分だけが輝き下半分との境界線はくっきりはっきりトリニトロン!という感じできれいに分かれているのが確認できます。

おはようございます。
ゆるやかにそよぐ風の中、『ん・ん~っ!』と握った両手のこぶしを空に向かって突き上げながら、目一杯の背伸びをしたくなるような気持ちのいい朝となった南牧村です。きょうはあたたかく・・・というよりも、暑くなりそうな予感です。




黄色い反射テープが一筋入るスクールヘルメットをかぶった新中学生の長女愛子。
かたじ屋前の農道二号線下り方向に続く急な勾配の坂道に助走をつけて突入!あえなく上り坂の1/3も走破できないうちに自転車は速度を失ってサドルから降りる愛子。

そこからは強い前傾姿勢で自転車を押しながら、ヨロヨロと登っている様子がよく見えます。

頂上付近に到達して自転車にまたがって、そこからは下り坂ですからあっという間に自転車の車体が消え下から徐々に坂の向こうに消えていき、最後に白いスクールヘルメットだけを残像に残して登校していきました。

いまのところ自転車を使って登下校をすることにしたのは、新一年生の徒歩通学範囲外の距離に住む生徒数名のみ。

全校生徒自体が30名程度の小さな小さな南牧中学校では、やはり村内の地形が山間の地域特有の平地の極端に少ない地形のせいかスクールバスでの登下校だったのですが、長女愛子を含めた新一年生たちは自転車での通学を希望したのだそうです。

じつに面白くてユニークな子供たちの学年です。

もちろん自転車の通学ですから、県道を走行しますし雨や雪に降られることもあると思います。危険がないというわけにはいきませんが、何もかも保護主義のように先回りして障害を取り払っていては子供たちのためにはならないのだろうと思います。

車道を走ることでヒヤッとすることもきっと経験すると思いますし、雨に降られつらい思いをすることもあると思います。冷たい向かい風が吹く日には漕いでも漕いでも進まない泣きたくなるようなこともあるかもしれませんがみんないい記憶になっていくことだろうと思います。

「事なかれ」に走りがちな学校現場において、この自転車通学を許可してくれたことを少なくとも私かたじ屋は評価したいと思っています。

ただ、勘違いをしてはいけないのは、この自転車での通学をすることが必ずしも「正解」ではないということ。あくまでも個人個人、各御家庭での判断によるものですからその判断はそれぞれ違っているものなのです。

それを危険と判断するも、断固反対と判断するも、危険があるけれどやらせてみようと判断するも、みなそれぞれの判断となるのですから答えがひとつではないと思っています。




大都会東京の都内を"新潟一号"とともにさんざん走り回り、野宿をしながら1000キロ近い距離を走り抜けたあの暑い夏の日。思い出すと体中の血が騒ぎ出すのを感じます。

日差しを浴びて農道二号線の坂道を登っていく長女愛子を見ていると私も一緒に南牧中学校までサイクリングしたくなってきました。

気持ちいいだろうな~、今日あたりは。
2009.04.14(火)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 11.0℃


朝晩の薪ストーブから、赤々と燃える炎が消えて数日が経ちました。なんともいえない寂しさがあります。まだ条件反射のように詰めたい鉄の感触しか味わえない薪ストーブが置かれた掘り下げのスペースに集まってしまうのです。   火が恋し・・・・。

おはようございます。
天気予報の通り、南牧村上空は灰色の雲に覆われて連日の朝日を見ることはありません。どんよりとした朝になりました。

外にでると目の前を流れる南牧川の川音だけが絶え間なく聞こえ、早起きなはずの鳥たちの声も不思議と聞こえてきません・・・と書こうと思っていたら、PCデスクの背後裏山方面からかすかに鳥の声。

けさはなんだかボーっとしています。
私にとってはかなりの夜更かしPM11:30就寝。

理由はデスクワークです。制作依頼品の図面を提案するためのデスクワークは私にとっての真夜中までかかって終了。すぐさま画像ファイルに変換してメール添付で送信してホッと一息なのです。

それにしても便利な世の中です。
作った図面を居ながらにして依頼主のもとに瞬時にして送ることができるんですから、夢のような話なのです。それも近所に住むような方ではなく、数百キロも彼方に住むあったこともない人とのやり取り。

メールを通してのやり取りを進めていくことで、自然と相手の方の人となりというのまで伝わってくるような気がします。文章というのは気が付かないうちに人物が現れるもので、綴られた文面の端々から読み取ることができるものです。

こうして毎朝のようにこの"こらむ"を書き込んでいる私も、もはやこのハイレベルな「アホ度」は周知の事実として捉えられてしまっているのかと思うと、なんとか修正をしていかねばという強い気持ちに駆られるものです。

あの秋篠宮殿下さんのような穏やかな口調が必須なのかもしれません。そろそろ私かたじ屋も大人の味を醸し出さなければいけません。小浜さん(オバマ)も叫んでいますから私も今日からチェ~ンジ!
2009.04.13(月)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 10.0℃


おはようございます。

週が明けたここ南牧村は、けさも青い空が広がって、よい天気になりそうな気配がプンプンしています。東の山並みからは早くもお天道様が顔を出し、あたたかな一日になりそうです。

予報では本日の最高気温24.0℃、晴れマークは一日中点灯しています。どうやらこの好天も今日あたりまで、明日からは徐々に天気は下り坂なのだそうです。

土曜日から再び向かった家内の実家。東京の桜はすっかり花を落として葉芽が膨らみ、衣替えの真っ最中です。季節を味わう暇もなく葬儀後に山積みとなっている用件をこなして昨晩遅くの帰村となりました。

ようやくスタッドレスタイヤ(冬用タイヤ)からノーマルタイヤに履き替えを完了させた傷だらけの愛車ルシーダ君。高速道路を走る感触も滑らかに、気持ちよさそうな快適走行を見せてくれ、タイヤによってこんなにも走行時の騒音が違うものかと実感です。

高速道路、どこまで走っても¥1000-のふれこみのせいか、混みあう進行方向とは行きも帰りも逆方向であるにもかかわらず、いつもよりも高速道路上を走行する車の数が28台ほど多く感じられた道中。反対車線側はポイントポイントでいつもどおりの渋滞ノロノロ走行、快適走行が可能な車線側にいることがなんだか得した気分さえ感じる高速道路上の私でした。

それにしてもよくわからないのが、なにゆえ下仁田インターから練馬区間の料金が¥1750-なのか?なぜに¥1000-ではないのか?よくわからないのです。

片道にして通常¥3050-かかっていた料金ですから¥1750-でもかなりの割引となり、こう頻繁に使用する我が家にとってはものすごく助かります。が、てっきり¥1000-だとばかり思っていましたので『話が違うじゃないか!』と誰かに訴えたい気持ちなのです。

何度も流れた麻生総理の会見でのコメントが脳裏に焼きついているのです。『高速道路料金は土日利用に限ってどこまで走ってもせんえん!となります。』というコメントが・・・・。

どうも大都市圏を別格としたからくりのようなものがあるようなのですが、根が正直な庶民にとっては『どこまで走ってもせんえん!』といわれると言葉を額面どおりに受け取ってしまうものなのです。

¥1750-という大幅割引にも関わらず、なんだか損したような気分を味わいながらETC専用ゲートをくぐる私かたじ屋でありました。貧乏人根性なんでしょうかね・・・。
2009.04.11(土)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 8.0℃


日に日に朝の観測気温が上がってきております。けさは8℃を観測、すっかりあたたかくなってきた南牧村です。

おはようございます。本日はあっという間の「さたでぇ~!」ということで、ここ南牧村では土曜日を迎えているようです。連日お伝えしていますが、さまざまな草木には春の花が咲き乱れ、まさに春爛漫!の山間地域。

この花の時期が終わるといよいよ葉芽が広がって山のいたるところで新緑が眩しくかがやく季節を迎えることになります。梅雨の時期までの一年で一番気持ちのよい季節なのです。

かたじ屋裏山では野生種のタラの木が、その先端部分に春の味覚"タラの芽(たらっぺ)"がふくらんできているのをけさ発見です。そんなにたくさん食べるようなものでもありませんので、今年も天ぷらにして塩をふって2~3個ほど頂くつもりでいます。




こと宗教感や信仰心ということでいわせていただけば、日本人というのは気が多いといいますか、多神仰といいますか、雑信仰といいますか時としてあきれてしまうようなことがあるものです。

家の中には神棚を設け「あまてらすの・・・・」と漢字で書き込まれたお札のようなものを貼り付け、榊にお神酒。かと思えば本願寺派御西・御東と呼ばれている仏教・浄土真宗寺院の檀家さんが、さまざまな宗派のあらゆるしきたり、教義をごちゃ混ぜに理解して、あーでもない・こーでもないと進言してくることしばしば。

詳しいことはよくわからない私ですが、どうやら浄土真宗というのは亡くなってから即成仏という考え方があるのだそうで、一般的によく聞く三途の川だとか、四十九日の旅をするという考え方はないのだそうです。

亡骸に伴わせる「守り刀」も「六文銭」と呼ばれている金銭の供え物も本来の概念から言えば不必要とされているのだそうです。(私も今回はじめて知りました。)

まあ、お寺さんといえばみな同じだという感覚なのだろうとは思いますが、あまりにも雑多な知識ばかりが先行して、葬儀を出している家族を迷わせるということもあるのだろうと感じます。

どのような送り出し方をするのも、死に対してどのような整理の付け方をするかももっとも近しい家族の気持ちが最優先される事柄ですから、決まりごとなどないと思います。

四方八方から寄せられる進言は親切心から来ることだということは理解できると思いますが、あくまでも本人たちの気持ちを大事にするべきだと思います。

しきたりや、作法、決まりごとというのは、突き詰めればいつの世にか誰かが言い始めて事始したことなのですから、自分たちにあった方法があるのであればどんどんアレンジしても構わないものだと私は考えています。とらわれる必要などないのです。

七の倍数である四十九日間旅をするなんている発想、面白いことを考えるものです。   ちなみに、私かたじ屋には難しい教義も厳しき戒律もありません。ただ私の両親から分けてもらった良心に基づいて、私の神様にすべてをゆだねて生きてゆけたらよいなぁと思っています。
2009.04.10(金)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 6.0℃


この数日の南牧村は、日中ともなれば初夏のごときあたたかさとなり、まさに"汗ばむ"陽気が続いています。昨日昼下がりのかたじ屋工房内は摂氏33.0度!あたたかいというよりは暑いのです。

きょうも好天に恵まれてあたたかくなりそうな気配、すっかり水も温んでいる南牧村です。

おはようございます。
かたじ屋母屋横の小さな池には大量のオタマジャクシ、毎年のことではありますがこれからこのオタマジャクシたちが成長していく様子を観察していくことになります。

あれほどうじゃうじゃと池の中で泳ぎまわっているオタマたちは不思議なことにその数をだんだんと減らしていくことが数年にわたる観察の結果わかってきています。いったいどこにいっちゃってるんでしょうか?不思議です。

おまけに、めでたく手足が出てしっぽがなくなり、親であるカエルに変身できたオタマたちは、成長したその姿を見せることはほとんど無く、なぞが多い生物なのです。

ちょうど我が家のバスルーム(邦訳:お風呂場といえばわかりやすいかもしれません。)のすぐ横に位置する小さな池からは、もう少しすると夜な夜な『ホホホホッ・ホホホホッ』という尻上がりな抑揚で鳴き交わす声が聞こえてくることになります。




縁側ガラス戸から見える外の景色は、朝の光を気持ちよさそうに受ける庭園の変わり松と真っ赤な花を咲かせているボケ、さつき、沈丁花、そして今が盛りの雪ヤナギ・・・etc。じつに気持ちよさそうなのです。

谷あいの村、南牧村はいい季節を迎えています。
2009.04.09(木)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 5.0℃


おはようございます。
けさも上空はすっきりと晴れ渡って早くも眩しいほどの陽が射し込み、見渡せるすべての物が輝くように色彩を放っています。

村内いたるところではサクラの花が満開に近い開花状況となり、独特の妖艶さと華やかさが入り混じった不思議な高揚感を感じずにはいられないものです。これが夜桜ともなれば、その怪しげな魅力はさらにパワーアップして、吸い込まれそうな気がしてくるほどです。

サクラといえば、我が家のスロープ下に植えられた「真子桜」。次女真子の小学校入学の記念に、近所の同級生のおかあさんから頂いたサクラなのですが、この春めでたくもたくさんの濃い桃色をした花がさきました!

なんていう種類のサクラなのかわかりませんが、なぜかどの花も下を向いたままで花びらを広げているのです。まだまだ小さな木ではありますが見事な花を咲かせています。次女真子も学年からすればずいぶんと小柄ではありますが、この桜のように真子らしい花を咲かせることだろうと思いますのであまり背のことは気にしなくてもいいと思いますよ・・・真子さん!そのうち大きくなりますよっ!




さて、我が家の長女愛子は今日から自転車通学がスタートです。距離にしてどのくらいでしょうか・・・・2~3キロというところでしょうか?初日となる今日はいったいどのくらいの時間で行けるのかを計測するために、セイコー社製の高性能経過時間計測装置を片手に登校していきました。まあ平たく言えばストップウォッチというところでしょうかね。

行きはだらだらとした登り勾配となりますので多少時間を食うかもしれませんが、帰りは逆にだらだらとした下りということになりますので帰りは楽チンかもしれません。普通に漕いでおそらく15分程度の道のりだろうと思いますが、半分近くは巾の狭い路側帯のほとんど無いような県道を走行しなければいけませんので最初のうちは緊張するだろうと思います。

冬の間封印していたマイチャリの「新潟一号」も、このところのあたたかさにその封印を解かれる時期となりました。そろそろ活動を再開しなくてはと考えているかたじ屋です。子供たちのローラースケート用のヘルメットがあまってますのでこれを着用してっと・・・・。グレーとピンク二色ありますがどちらにするか悩むところです。

ひげ面の不審人物が不釣合いなグレーかピンクの子供用ヘルメットをかぶり、紺色のボディの新潟一号にまたがり、軽やかなペダルさばきで風の如く颯爽と走る姿を見かけたときにはぜひとも声をかけてやってください。『いっちろ~!』てな感じで。
2009.04.08(水)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 5.0℃


ぐるりと一回転。360度の視界にはすぐそこまで迫る山々。
谷あいを流れる清流に沿うように点在し、集落を形成している南牧村。

岩肌がむき出した絶壁のような山のところどころには、薄むらさき色をした岩ツツジがその存在感をさり気無くアピールし、こちらの杉山ではヤマザクラが一足はやく薄桃色の可憐な花をいっぱいに広げ一際アピールする季節です。

ひとしきり咲き続けていた杏の花びらには、そろそろくすみが現れるようになり散りごろを迎え、入れ替わるようにかたじ屋"魔のスロープ"沿いの枝垂れ桃はその花びらを全開に広げています。
春爛漫!の南牧村は今日もぽっかぽかの陽気になりそうなのです。

おはようございます。
きのうあたりは日中の陽射しをくぐりぬけて、かたじ屋母屋玄関から中に入ると、母屋内の空気がひんやりと感じられる夏の頃の現象を感じるほどの気温となりました。何もかもが春本番を迎えてエンジン全開、虫たちも草木も人間もウキウキです。

どこからともなく現れる!次から次へと現れる!湧いてくるように現れる!
あたたかくなるこの時期は例のカメムシ「ワクサ」の大発生。きのうはあさから家内が捕獲した数じつに50数匹。私も微力ながら捕獲に協力をしていますのでトータルでは70~80匹というところでしょうか。

明るいところに集まる習性があるのか、窓際族のようにガラス戸周辺を溜まり場をつくり、各方面へと散開していくのです。

捕獲部隊隊長の家内はじつにすばやい動作で1匹また1匹と確実に捕獲を進めていきます。その武器はなんといっても梱包用の紙テープ、一般にはクラフトテープとも呼ばれているあのベージュ色の幅広紙テープのみ。

長さにして10センチほどにちぎっては発見したワクサの背中にペタッとくっつけ捕獲、そのままテープを二つ折りに粘着側同士をくっつけ、そのなかにワクサを閉じ込めて一丁上がり!実に見事な手際なのです。

この調子で紙テープをちぎってはワクサの背中にペタリ!挟んでゴミ箱。ちぎってペタリ、挟んでポイッ!ちぎってペタリ、挟んでポイッ!という感じでゴミ箱にはあっという間に二つ折りにされた紙テープでいっぱいになっていくのです。

きのうはこの紙テープに挟まれたワクサをゴミ箱に放置していたせいで、危険を察知して放たれたワクサの悪臭が2階雑魚寝の間に充満、何も知らずに2階に上がった私はその強烈な匂い漂う中で気を失いかけながら命からがら生還。すぐさま"ワクサ満載ゴミ箱の処理班"が編成され(といっても私ひとりですが・・・。)決死の"ワクサ満載ゴミ箱"撤去作業決行となりました。

もちろん今後もワクサ処理班の出動が予想されますので、常にスタンバイしておかなくてはなりません。春といっても気の抜けない田舎暮らしのひとコマ、厳しさを実感している田舎暮らし6年目突入のかたじ屋でした。


2009.04.07(火)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 4.5℃


けさは早くから朝日が射し込み青い空が広がっている南牧村です。
やけに空気がかすんで見えるのは花粉のせいか、はたまた黄砂襲来のせいなのでしょうか?

おはようございます。
きょうから中学生になる長女愛子は、ピカピカの制服に袖を通して見た目だけはすっかり中学生です。ブラウスにブレザーとプリーツのスカートは共に紺色。

最近ではすっかり女子中学生の姿として認識されているよく見かける制服です。


私が中学生のころは?と振り返ってみると、やはりなんといってもセーラー服姿が中学生の制服という印象があります。もちろん私は男子ですからセーラー服を着ることはありません。当然詰襟の学生服でしたね。

中学2年ともなると、だれから譲り受けたのか記憶がありませんが基本形の学生服がいつの間にか中ラン・高襟・裏地に刺繍が入ったような学ラン姿に変わっていったように記憶しています。たしかワインレッドのサテン地の裏生地だったような気がしますが、なんといっても15年も前のことですから・・・・。すいません!おおきくサバを読みました。ただしくはおおよそ30年近く前のことでした。   お詫びして訂正いたします。

そういえばセーラー服姿というのは見かけなくなりましたが、どこへいっちゃったんでしょうかね。なんだかものすごく懐かしさを感じるのは、いまのところ私だけなのでしょうか?急に中学生だった頃の記憶がよみがえってきました。それも断片的に・・・。


どしゃ降りのスコールが路面をたたきつける夏の夕方、男子も女子もみんなしてずぶ濡れになりながらギャーギャー大騒ぎで全員裸足になっての下校時の光景。放課後クラスメイトが歩く1階の外廊下めがけてバケツの水をぶちまけては大笑いした夏の校舎、その後は残っていた15~16名ほどのクラスメイト全員で教室が水浸しになるほど水の掛け合いをしたしたもんです。

燃えに燃えた運動会での応援団練習。今でも思い出すと鼻の奥がツーンと痛くなってきそうな長距離走大会。こう見えても私かたじ屋以外と速かったんです。70~80名ほどいた学年男子中いつも3位、どうしても前の二人には敵わなかったんですねぇ・・・。

授業を抜け出して校門前の駄菓子屋さんでチロルチョコやらを買って戻り、戻ったところを若いバリバリの少林寺拳法有段者の先生に見つかって階段上から蹴り一発!もんどりうって階段下まで転げ落ちたこれまた夏の日。

おふざけが過ぎた始末に、呼び出された職員室隅っこで正座させられること数え切れないほどありましたし、往復ビンタなんぞは日常茶飯事でしたねぇ~。そんなおっかない先生たちでしたが愛情があったんだと思います。

島を出た私を、ことあるごとに気にかけてくれていたという話を聞かされたときはさすがの悪ガキ坊主もぽろぽろと泣いたもんです。みんな熱血漢でしたね、あの時代は・・・。


おっと、セーラー服の話がいつの間にかこんな話になってしまいました。急に頭の中を駆け巡ったものですからついついです。いまなら当時の出来事が次々と浮かんできますのでとめどなく書き込めそうですが、溜まりに溜まった仕事をこなさなくてはなりませんので、本日はこれにて!
2009.04.06(月)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 2.0℃


ずいぶんとしばらくぶりにかたじ屋母屋の書斎・PCデスク前に陣取った私かたじ屋です。
おはようございます。

ほぼ1週間ぶりの南牧村はやはりまだまだ朝は冷えています。華の都TOKYOとはずいぶん違うものですねぇ。家内の実家足立区を含む都内ではサクラの花は満開となり、昨日あたりは実家裏に広がっている「井掘り北公園」では花見の先遣隊が早くから場所取り、数時間後には本隊が到着し「お花見宴会」と賑わっていました。

時折吹き抜けるそよ風に乗って、バーベキューコンロの上で焼かれているお肉の(タレ付けされた100グラム98円の牛カルビと推測される)匂いが近隣に漂い、ポカポカ陽気の春の休日をさらに演出です。




先週の火曜日だったでしょうか・・・。
子供たちの春休みにあわせて実家に戻っていた家内からの電話が鳴ったのはもうすぐ楽しみなお昼ご飯時という時間。

電話の向こうはただならぬ気配。
かねてから容態の思わしくなかった義父の容態が急変、いよいよ地上での人生を締めくくるべきときが近づいているとの説明を受け、「今日・明日にも・・・・。」という担当医の連絡を受けたのは子供たちを連れ午前中の面会を終えていったん自宅に向かっている途中からのものでした。

長い闘病の末でしたので充分に覚悟はしていたと思いますが、電話の向こうの家内は泣き出したい気持ちを必死に抑えている様子が手に取るようにわかります。

作業を取りやめ母屋に戻った私は、事前に家内と打ち合わせていた通りに家族全員分の式服を積み込み、葬儀に関する資料を可能な限りネット上から集めてプリントアウト。『遺影に使えるような写真の用意ができるか?』との義母からの要請を受け、急きょ画像データをひっくり返しての作業に時間を使ってしまい、南牧村を出たのは3時過ぎだったのかもしれません。

高速道路追い越し車線を滑るように走り抜ける愛車ルシーダ。今まで見たこともないような数字を指すスピードメーター。今にして思えば時速にして400キロ近いスピードが出ていたのかもしれません。

いったん実家に待機していた家内と子供たちを乗せて、都立駒込病院へ。

病室では義父の兄弟が田舎である茨城から駆けつけ、最後のときを間近にした義父は個室に移されており、その姿は明らかにこれまでとは違う息遣いでした。小刻みに肩で息をする義父に目を開ける力は無く、ただただ見守ることしかできない状況です。




病院での待機は子供たちにとっては(とくに、こぐまくん)我慢の限界ということもあり、とばせば15分でたどり着ける実家に再び戻って待機することになったかたじ屋一家。どうしても病室に残りたかった家内も義母に説得されていったん実家で待機、夜も更けて深夜近かったこともあり、あっという間に眠りにつく子供たち・・・。

私も家内もうとうととしかけた時刻は日付が変わった深夜一時ごろ。
家内の携帯がやかましいほどの音量で鳴り響き、強力なバネ仕掛けのように飛び起きる家内、寝入って間もない子供たちを無理やり起こして再びルシーダ君に乗り込んだかたじ屋一家は、真夜中の都内を赤信号も度々突っ切って猛スピードで病院へ向かったのでしたが息を引き取る瞬間に一人娘である家内と義父の孫たちを立ち合わせてあげることが叶いませんでした。

義母によれば異変に気づいてからあっという間だったそうです。

だれもが必ず通っていく道ですが、我が家にとっては初めての事。かなり前から相当の覚悟はしていたことでしたがやはり辛いものです。

それからのやく一週間は、とにかく慌しく過ぎていくことになり、無事に義父を送り出してひとまず昨夜帰宅となりました。子供たちの卒業や学年末を終え、家内のピアノ教室のスケジュールもすべて年度分が終了するのを待ってくれたかのように神様のもとに向かった義父との別れを終えてきたかたじ屋一家でした。

けさ、やさしい気持ちが詰まったチーズケーキが思いがけず届きました。そのやさしさに感謝!


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