2009.04.06(月) しばらくぶりのこらむとなりました。

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2009.04.06(月)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 2.0℃


ずいぶんとしばらくぶりにかたじ屋母屋の書斎・PCデスク前に陣取った私かたじ屋です。
おはようございます。

ほぼ1週間ぶりの南牧村はやはりまだまだ朝は冷えています。華の都TOKYOとはずいぶん違うものですねぇ。家内の実家足立区を含む都内ではサクラの花は満開となり、昨日あたりは実家裏に広がっている「井掘り北公園」では花見の先遣隊が早くから場所取り、数時間後には本隊が到着し「お花見宴会」と賑わっていました。

時折吹き抜けるそよ風に乗って、バーベキューコンロの上で焼かれているお肉の(タレ付けされた100グラム98円の牛カルビと推測される)匂いが近隣に漂い、ポカポカ陽気の春の休日をさらに演出です。




先週の火曜日だったでしょうか・・・。
子供たちの春休みにあわせて実家に戻っていた家内からの電話が鳴ったのはもうすぐ楽しみなお昼ご飯時という時間。

電話の向こうはただならぬ気配。
かねてから容態の思わしくなかった義父の容態が急変、いよいよ地上での人生を締めくくるべきときが近づいているとの説明を受け、「今日・明日にも・・・・。」という担当医の連絡を受けたのは子供たちを連れ午前中の面会を終えていったん自宅に向かっている途中からのものでした。

長い闘病の末でしたので充分に覚悟はしていたと思いますが、電話の向こうの家内は泣き出したい気持ちを必死に抑えている様子が手に取るようにわかります。

作業を取りやめ母屋に戻った私は、事前に家内と打ち合わせていた通りに家族全員分の式服を積み込み、葬儀に関する資料を可能な限りネット上から集めてプリントアウト。『遺影に使えるような写真の用意ができるか?』との義母からの要請を受け、急きょ画像データをひっくり返しての作業に時間を使ってしまい、南牧村を出たのは3時過ぎだったのかもしれません。

高速道路追い越し車線を滑るように走り抜ける愛車ルシーダ。今まで見たこともないような数字を指すスピードメーター。今にして思えば時速にして400キロ近いスピードが出ていたのかもしれません。

いったん実家に待機していた家内と子供たちを乗せて、都立駒込病院へ。

病室では義父の兄弟が田舎である茨城から駆けつけ、最後のときを間近にした義父は個室に移されており、その姿は明らかにこれまでとは違う息遣いでした。小刻みに肩で息をする義父に目を開ける力は無く、ただただ見守ることしかできない状況です。




病院での待機は子供たちにとっては(とくに、こぐまくん)我慢の限界ということもあり、とばせば15分でたどり着ける実家に再び戻って待機することになったかたじ屋一家。どうしても病室に残りたかった家内も義母に説得されていったん実家で待機、夜も更けて深夜近かったこともあり、あっという間に眠りにつく子供たち・・・。

私も家内もうとうととしかけた時刻は日付が変わった深夜一時ごろ。
家内の携帯がやかましいほどの音量で鳴り響き、強力なバネ仕掛けのように飛び起きる家内、寝入って間もない子供たちを無理やり起こして再びルシーダ君に乗り込んだかたじ屋一家は、真夜中の都内を赤信号も度々突っ切って猛スピードで病院へ向かったのでしたが息を引き取る瞬間に一人娘である家内と義父の孫たちを立ち合わせてあげることが叶いませんでした。

義母によれば異変に気づいてからあっという間だったそうです。

だれもが必ず通っていく道ですが、我が家にとっては初めての事。かなり前から相当の覚悟はしていたことでしたがやはり辛いものです。

それからのやく一週間は、とにかく慌しく過ぎていくことになり、無事に義父を送り出してひとまず昨夜帰宅となりました。子供たちの卒業や学年末を終え、家内のピアノ教室のスケジュールもすべて年度分が終了するのを待ってくれたかのように神様のもとに向かった義父との別れを終えてきたかたじ屋一家でした。

けさ、やさしい気持ちが詰まったチーズケーキが思いがけず届きました。そのやさしさに感謝!


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どらごんふりゃいどの

なにもかも自然の営みの一部ですよね。一時的な悲しみや感情の上下はありますがすべてはゆらゆらと・・・。

やまねこどの

ありがとうございます。
だれもが必ず通る道ですから切り替えは済んでいると思います、家内どのは。

散る桜 残る桜も 散る桜 

いずれ僕達も風になる日が来るんだよね。
良寛さんの句が春の日に染み渡ります…。

無理せず、少しずつ日常を取り戻してくださいね。

<看取る。臨終の場。いまはのきわ・・>
人生何回も経験するものではありませんよね。私の父の場合は18年前でしたが「昨夜11時に倒れ今意識がない」との女房からの電話を受けたのは出張中だった姫路駅前のホテルの自室の午前7時でした。その時はたまたまいつも常用しているホテルではなく、ホテル名も言わず直接会社から出張していました。女房は一晩中姫路のホテルを片っ端から電話してやっと宿泊中の私を探し当てました。東京に急行する新幹線のなかで病院の主治医に電話で「今、名古屋を過ぎたところです。あと3時間持たしてください!」といいました。主治医は「急な脳幹出血ですのでもう意識の回復は望めませんがなんとかやってみます。大至急病院まできてください。」東京駅から中央線の特別快速にのり国分寺についたのは2時半でした。大雨が降ってタクシー乗り場は長蛇の列でしたが「父が危篤です。先に乗せてください。」といって病院に駆けつけました。病室には血縁親族が来ていました。枕元のオシロスコープには心臓の波形が映し出されていました。看護婦がノギスで瞳孔の直径を測っているとき主治医が減衰してゆく波形をみて「残念ですが・・」とつぶやきました。なんとか死に目には会えましたので主治医には「ありがとうございました」と謝意をのべました。
願わくば「いまわのきわ」の言葉を聞きたかったのがその時の心情です。改めてお悔やみ申し上げます。 やまねこ  

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このページは、katajiyaが2009年4月 6日 06:43に書いたブログ記事です。

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