2009.04.22(水) ほろ苦い春の使者

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2009.04.22(水)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 11.5℃



夕方近くになるとかなり本格的な降りとなり、作業場のナマコ屋根をやかましく叩く音。
スピーカーから流れるお気に入りの曲、6度違いというちょっと変わった深みのある独特のハーモニーが聞こえなくなるほどなのです。

ハーモニーを奏でているのは、今は解散してそれぞれの道に分かれて活動している北海道出身のフォークデュオ。日本のサイモン&ガーファンクルと呼ばれていたこともある美しいハーモニーと素朴なやさしさが織り込まれた楽曲を多く生み出した二人組みなのです。

もう30年来のつきあいになるんです。
はじめてそのグループを知ったのは小学校の6年生。本土(鹿児島)から転勤してきた教師の息子、名前は覚えていませんがその少年から教えてもらった1曲がはじまりだったと記憶しています。

淡い恋心を歌ったその曲とそれまで聞いたことのない美しい歌声に絶妙のハーモニー。やがて中学生になる頃にはその人気が全国的に高いことを知るようになり、特に沖縄を中心とした南西諸島では絶大なる人気を誇っていることを知るようになるのです。

沖縄有線放送では当時、出すシングル出すシングルすべてリクエスト数一位を記録して、たしか10曲連続とかいう記録をつくった時期もあったそうです。そしてその時期には感謝の意味を込めて、沖縄を題材にした曲をシングルカットなんてこともあったんです。

大きなヒット曲というのは数えるほどしかないグループでしたが、当時の年間コンサート数トップクラスでいつも満員、数年前に解散するときまで開催されるコンサートはいつも満員で、芸能界の七不思議とまでうわさされていたほどなのです。

北海道出身という二人の育った環境が織りなす数々の楽曲には、不思議なあたたかさと素朴なやさしさが感じられることが多かったように思います。その感性がきっと目立たないけれどもたくさんの女性ファンを掴んでいたのかもしれません。




大人になるに連れて、このグループのファンであることをどちらかというと表には出さなくなってきていた私かたじ屋。

こんな私ですからだれがどう見ても緑のにおいがする素朴さとやさしさが感じられるこのフォークデュオの歌声を好んで聞いているというのは不釣合いであること位、言われなくても分かっているつもりなのです。

寮生活をしながら通った高校時代。同じ寮舎の同室となった北海道出身の先輩を最後に出会うことがなかったこのグループの曲を好んで聴くという野郎の存在。

そんな変わり者野郎に出会ったのは2年ちょっと前のかたじ屋作業場内でした。

いつものように手持ちのCDアルバムをBGMにセットして作業中、受け持ち地区の見回りにやってきたのは2年まえの初夏の頃。その年の春配属となった駐在さんだったのです。

作業場内の音響設備(といってもAIWAの安物コンポもどきですが)が置かれていた棚に無造作に並んでいたお気に入りのCDを手にとってジャケットを眺めたその瞬間、突然に素っ頓狂な声をあげ『えぇ~っ!〇〇〇〇〇聴くんですかっ?』と私のほうを睨みつけるのです。

先方の職業が駐在さんですから、とっさに私の頭に浮かんだのは『なんだ?なんだ・なんだ?捕まるのか?このグループのCDを持っていると捕まるのか?』というもの。すぐさまその場を逃れるための逃走経路を頭の中で順序立て、しっかりと身構える私。

駐在さんから返ってきた言葉は『いや~、びっくりしたなぁ~!オレもよく聴くんですよぉ、〇〇〇〇〇の曲は。』

びっくりしたのはこっちのほうなのです。


まさかこんな田舎の山村で同じ趣味を持ち合わせた野郎と出会うとは思ってもいませんでした。長く住んでいた東京でも一度も出会ったことがなかったあのフォークデュオの曲を好むという野郎の存在でしたので、驚くやらなんだか嬉しいやら・・・・。

それ以来の交流となった駐在さん。私から見ればまだまだカタコトでしかないながらもダジャレを操る彼にとっては、私かたじ屋の"繊細かつ高度な"ダジャレが尊敬に値したと見え、いつしか私を支障と呼ぶように・・・変換ミスですね、正しくは「師匠」と呼ぶようになり、多いときには週に3度も暇つぶしに作業場を訪れるようになったのでした。

馬鹿話をぐだぐだと話し、少年の頃のように馬鹿笑いするいい歳こいた男2人。主である私よりも先に母屋に入り、勝手に上がりこんではカウンターでこーしーを要求する無作法。憎めない男でした。

私にとっては旧知の友人のような気さえする気の合う男でしたが、やはり駐在さんには任期がありこの春、新天地へと赴任していくこととなったのです。


転勤が決まった翌日だったでしょうか、それまで慌しかったのか一週間以上きていなかった駐在さんが、またしても暇つぶしに現れたのは・・・。

転勤先が決まったことやら、てんで関係のない馬鹿話やら、ご家族の辛かったことなどなど、すこしは上達したダジャレを交えながらいつものように作業場で暇をつぶす"のびた君"のような駐在さんと私。

ちょうど背中を向けていた私の背後で突然、嗚咽するようにしゃくりあげる声。
振り返ると、材料に腰をかけたままメガネを取り、こらえようと必死に歯を食いしばりながらもとめどなくあふれる涙を拭うのびた君の姿がありました。『うぐっ・うぐっ』と声にならない声でしゃくりあげぼろぼろと泣いていたのです。

男がこらえきれない涙を流す姿というのをしばらく見ていなかったせいか、気の効いた言葉のひとつもかけてあげられなかった私。いろんな思いがあったんだろうと想像します。

家族のこと、特にお子さんたちへの思いや気持ちが抑えきれなかったのかもしれません。自分をふがいないと責めていたのかもしれません。表には出さない男でしたがいろいろな思いが駆け巡ったのだろうと思います。

私の高度なダジャレが聞けなくなるという思いも片隅くらいにはあったことと思います。いや!大いにあったと思いたいのです。なんてったって師匠ですからね。




引越しの当日、お手伝いに集まった職場の方、地域の方たちを前に堂々と駐在さんらしいあいさつをして出発していってから一ヶ月近くが経とうとしています。やはり毎度私の仕事を邪魔しにきていたオジャマ虫が来なくなるというのはさびしい限りなのです。

転任先でのますますの活躍を祈ります。

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ya~どの

コメントをありがとうございます。

ひと月近くが経ち、もうそろそろいいのかなと思い書き込んでみました。   我が家にとってはこれからも機会があれば永く付き合っていきたいと思うそんな一家なのです。別れる辛さよりも、出会えたことに感謝なのです。

いまごろは高崎市内某交差点あたりで、二人乗りの原付バイクを止めてはダジャレ交じりの説教でもたれているところかもしれませんね。

やまねこどの

公務員個人に罪はないのでしょう。公務員という職種・制度、ながきに渡って受け継がれてきた体質やあやまった役人根性、そのことに目をつぶり利用し、利用されてきた一握りのタヌキ。はなから疑いの目で見ているということは、信濃川の土手でであった警官が無二の友人となるべき運命の人であったとしても排除しかねないということになります。願わくばお気持ちをゆるやかに~!

いつもコラムを読みながらププッと笑う事はあっても
涙したのは初めての事です。

駐在さん家族、私も大好きでした。
別れはさみしいものですね。

<嗚咽する駐在さん>
駐在さんだから家族帯同だよね。子供がいたかどうか分からんが多分奥さんも友達がいただろう。子供がいれば尚更だよね。貴兄のお子さんと年齢も近いだろうし別離は辛いよね。特に東京のように一学級数百人なら別だが小学校の卒業生が10人そこそこでは余計です。「駐在さんの嗚咽」と聞いて昔の新潟勤務時の単身赴任の日曜日の信濃川の土手での駐在さんの背後からの大声『おい!あんた。そこで何してる?』を思い出しました。嗚咽した駐在さんがもし単身赴任だったとしたらどういう感じになっただろう。休日は貴兄と酒ばかり飲んでいたのではないだろうか。私はとにかく公務員を信用しておらずこのような駐在さんと知己を得た貴兄はただラッキーだった。と思っています。   合掌  やまねこ  拝

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このページは、katajiyaが2009年4月22日 06:04に書いたブログ記事です。

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