2009.06.13(土)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 15.0℃
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 15.0℃
おはようございます。
いつの間にか迎えていた今週末の土曜日。
南牧村は、うす雲がまばらに広がりながらも今のところ青い空のほうが大勢を占めています。残念ながら日が射すほどの力は無いようです。なんだか気力の感じられない朝、元気の無い朝。
私はといいますと・・・いたって元気、とても32歳とは思えないほど元気であります。世の中の土日休日の流れに逆らうように、本日もいつもどおりに仕事であります。仕事が与えられていることに感謝・感謝なのです。
※文中、誤解を与えるような表現があったかもしれませんが、自らを32歳であると表現はしていませんし、そこまで図々しくはありません。あくまでも「32歳とは思えないほど・・・」と誤解を招くような表現に徹しているつもりであります。ガ・ハ・ハ・ハ・ハッ!43歳じゃ!
こんな小さな村の中の、そのまた小さな近隣の住民同士の自治会のような組織の中でさえ、様々な意見や考え方が存在するもので、小さな20戸に足りない程度のコミュニティーでさえ一筋縄ではいかないこともあるものです。
自分の価値観を定規に物事を考えていると、まったく違う見たことも無いような物差しを引っ張り出してくる方がいたり、それっていつの時代の物差しですか?と言いたくなりそうな唐尺の物差しで寸法を読み上げる方が居たり、なかなか自分の物差しを見せようとしない方が居たり、見せてくれた物差しにはセンチなのか寸なのかインチなのかヤードなのか読み取ることが不可能なほど目盛りをぼかして使っている方が居たりと様々なのです。
可能な限り使用している方の物差しの単位に変換をしながら、その真意というものを理解しようと努めなければ、もともとは小さな誤差であっても使い続けることで大きな誤差となり、修正には大きな理解力が必要となるのです。
お互いに、我が物差しこそ日本工業規格に準じる正規の目盛りが刻まれているのだ!思い込み譲らないままでは単位の互換性はなされないままとなっていきます。
ちょいとばかり、お互いの定規に刻まれた目盛りを覗き込んでみるといいのです。覗き込んだからといって損はないと思います。案外、相手の定規に刻まれた目盛りには使い勝手の良さを感じることがあるかもしれません。
使い勝手がよさそうであれば、自慢の定規に目盛りを刻み足してあげればバージョンアップすることができるじゃありませんか!
今までの物差しを捨てて、全面的に使ったことの無い物差しと取り替えろっ!なんてことをする必要は無いと思います。『おっ、この目盛りがプラスされれば、いままで測ることができなかったあんなものも、こんなものも測ることができるかも・・・・。』くらいの気持ちで、自慢の物差し以外の物差しにも興味を示して覗き込んでみてはいかがでしょうか。
ちなみに私が仕事で使用する物差しは二通り。
ひとつは仕事柄、寸・尺の物差し。もうひとつは青年らしくセンチの物差し。
使用する用途、精度の度合い、利便性などによって使い分けています。まあ、どちらかといいますと体に染み付いた寸・尺の物差しのほうが馴染みはありますけどね・・・。

やまねこどの
自分で言うのもなんですが、43なんていうのはまったくもってハナタレ小僧。落ち着くには100年早いぜっ!という気持ちです。まだまだやんちゃで居たいものです。
<男の朝>
うっとおしい朝なのにいたって元気とのこと、御同慶のいたりです。男の朝は元気な方がいい。できれば息子(せがれとも表現するときがある)も合わせて元気な方がいい。
<鼻たれ小僧>
43歳とのこと、小生定年退職挨拶状を先輩に送付したら「50、60鼻垂れ小僧。まだまだあるぞ30年」と返事が来た。
<物差し>
くじら尺というのもあるね。先週亡くなった実母が裁縫で使っていた。もう使う人も使える人もいないだろうと棺桶に入れた。
<使う物差しが異なる相手との議論>
価値観がちがうので噛み合わないのは当然だが疲れるね。
昔の部下にひどい奴がいた。例えば、「ダイコンを2本買ってこい」と言うと「ニンジンを3本買ってきました」だった。
単価も数量も違うので総額の掛算をすると益々わからなくなる。「東海道新幹線に乗り大阪に行け」と言うと東北本線の鈍行に乗り仙台に向かってしまった。物差しが異なる相手との議論で最も疲れるのはdimensionを取り違えている対話だね。
たとえば店で「これを〇〇キログラムください」と言うと「はい、△△メートルですね。」・・価値観の違い以前だね。
合掌 やまねこ 拝