2009.06.20(土) 南牧村はスケールのでかい村なのです。

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2009.06.20(土)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 18.0℃


おはようございます。
さたでぇ~!の南牧村は、いつも以上に水分を多く含んだ、まとわりつくようなまったりとした空気が地上付近に寝そべって、薪小屋測候所ではちょっと高めの気温18.0℃を計測です。

まっすぐに送る視線の先にはいつもとそれほど変わらない風景を確認できますが、ちょっと視線を上げてみると・・・・、地上とはまったく違う風景が広がっています。

深い深いモヤがすっぽりと景色を包み込んで、上空さほど高くないあたりから上はまったくなんにも見えないほどです。この状況で南牧村のもっと奥に位置している標高の高い地点にある地区ではどんな光景が広がっているのかと想像してしまいます。

天空の雲の中にでもいるような様子なんでしょうか?行ってみたい様な気がします。





先週日曜日、日本が誇る南牧村消防団では、全団による分団廃止地域への火防査察を実施。村内最深部地域への地形確認・水利確認を兼ねての査察となりました。

深刻な集落の高齢化・過疎化に伴って消防団員の確保ができず、やむなく分団活動を休止せざるを得ない地域がこの数年の間にいくつか出てきている現状。   万が一の火災や災害時に備えて各分団はそれらの地域をカバーしていかなくてはなりません。

小さな村ではありますがその範囲というのは思いの外広いものなのです。
お手元の地図を開いていただくと分かると思いますが・・・・え~っと、89ページですね。

地図がお手元にない方はこちらのリンクを右クリックで新しいウィンドウか、新しいタブ表示に開いていただくと良いかもしれません。

ここかたじ屋の所在する千原・磐戸地区から奥へ進むと村の心臓部・雨沢地区を通り、ついでに楽団練習場となっている中央公民館も左手に通り過ぎ六車地区。やがて集落もまばらになって平行して流れる南牧川は深い渓谷の上に架かる橋を越えて砥沢地区の入り口付近「中村製袋」の工場群を横目に砥沢地区メインストリートを通過。

瀟洒なつくりの旧砥沢郵便局舎が一際目を引く中、くねくねと進む県道沿いには家々の屋根が道幅一杯にまで迫り出した不思議な空間。タイムスリップしたような不思議な空間。   やがておとぼけ駐在さんが勤務する砥沢駐在所を右手に通り抜けて集落を後にします。

しばし緑の中を進むと羽根沢地区の入り口付近、かつては賑わったであろう椚石造りの農協倉庫、ほどなく星尾川に架かる橋のたもとに到着すると、突如現れる近代建築物の大きな姿。   かつてはそのあたりも子供たちの声がそこかしこで聞かれ、集落も元気だったころの建造物・旧尾沢小学校校舎、現在の南牧村民俗資料館(土日は休館)が視界に飛び込んできます。

振り返った星尾川対岸上には木造の校舎・旧尾沢中学校の姿が生い茂る木々の間から見え隠れする景色はなんともいえず郷愁漂う想いに駆られるものです。

先週日曜日に行われた全団火防査察はここが出発点。
ここからスタートとなったのです。

都市部に暮らす方々にとっては、この時点でも十分に日本の秘境に達した感を抱かせるものがあるかもしれません。南牧村の「街なか」のはずれに暮らす私でさえここまで来るとかなり奥まで来たような気がするものです。   ところがここから先は本当にため息の出るような風景が広がっていたのです。

生憎天候すぐれない日曜日ではありましたが、羽根沢~勧能地区へと進み、分かれ道を私にとっての未踏の地、馬坂川を遡るように馬坂集落、そして禁断の県境越えを断行して長野県領地内に侵入。れっきとした県道ではありますが車窓に流れるその風景はまさに秘境・ニッポンの原風景なのです。

こんなところにも集落があるのか!と唸り声が出てしまいそうな奥地。そこにはしっかりと生活が存在しているのです。なんと広い南牧村!こんな風景を目にするとは思っていませんでした。

大切な地形確認や水利の確認などのためにやってきていたのですが、もはや私は探検隊の一員のような気分、驚きと感動の連続でありました。   今度は「新潟一号」を駆って、おにぎりをもって訪れてみたいと思っています。

すべてのスケジュールが終了して帰還した第九分団詰所付近。やけに都会に感じたのは私だけだったのでしょうか?


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やまねこどの

史誌にも同じような記述があるのですね。
でもな~んとなく信憑性に疑問を持ってしまう私です。話としては面白いんですけど、だれかが一夜にして作り上げたような気がしてならない天邪鬼なのです。

<納得する自覚があってやっているのであれば無駄ではない>
おっしゃる通りだと思いますよ。セレブの婆さんが「夢よもう一度」と高価な化粧品を買い求め、修復不能の皺くちゃな顔に塗りたくっているのを見ているのと同じです。本人は納得しているのです。「無駄だからやめろ。」とは言えません。
       合掌  やまねこ  拝

<まさかの坂>
これは本当の話です。図書館の郷土史の本で読みました。
信州の殿様と上州の殿様が藩の堺を決めようとそれぞれの領地から出発し出会ったところを堺としようと話しあったのです。
約束の同時刻から出発した上州の殿様は峠の坂のはるか手前で信州の殿様一行と出会ってしまいました。『なんで?』といぶかる上州の殿様に信州の殿様は『わしらは馬で来たのだ』とすずしい顔で答えた。「馬を使ってはいけないと約束はしていなかった・・』と上州の殿様は悔しがった。そのことから、この坂は「馬坂」と呼ばれるようになった。
教訓:何事も事前の条件確認が重要です。
昨年の安倍晋三元総理の退陣を受けての自民党総裁選前に小泉元首相がマスコミの記者団から「総裁選立候補者」について感想を求められた。小泉氏は言った。『人生いろいろ。登り坂あり、下り坂もある。だが忘れてはいけない。もうひとつ坂がある。「まさかの坂」だ。』                             合掌  やまねこ  拝

ルート45どの

面白い話を聞かせていただきました。ありがとうございます。
大変興味深く読ませていただきました。

これって本当の話なんですかね?
『まっさか!』ねぇ・・・。

やまねこどの

いろいろなものの見方、感じ方、考え方というのは人間の数の通りに多々あるものです。やまねこどのにはやまねこどのの考え方があることと思います。

小さな村に暮らす方々の中には“しがみついて”という表現に当てはまる住民の方もいらっしゃるだろうと思いますが、そうではない方も大勢いらっしゃると感じています。それがすべてではないとおもいますよ。

結局は無駄になるかもしれない“あらがい”であっても、関わっている方々が承知したうえで納得したうえでのことでしたら外野が『無駄なことを・・・・』と決め付けることはできないでしょうね。本人たちが納得しているなら無駄じゃありませんよね。

やまねこどののように大局を冷ややかに見つめる眼も大切でしょうし、ケツの青い若造がむやみにもがく姿もまた必要ですね。

どらごんふりゃいどの

ニッポンの原風景なんて軽々しく書き込んでしまいましたが、外から来てその瞬間だけを通り過ぎた人にとっては『ぜひともなくさないでほしい!』なんて、いかにも文化的な発言が多いのです。その環境の中で暮らしを立ててきた人にとっては『なにいってんだ。そんなによかったらここで暮らしてみろっ!』っていうのもあるかもしれませんよね。

馬坂(まさか)っていうのも面白い名前ですよね。かたぢ屋殿がギャグにしなかったのが不思議なくらいです。地名の由来については こんな話を聞いたことがあります。 その昔、上州側と信州側の殿様が互いの領地の境を はっきり決めようということになり、同時刻に上州側と信州側からそれぞれ歩き出して 出会った地点を国境にしようということになったのだそうで、そのとき どちらの殿様も『まさか ここで出会うとは···!』と大変 驚き『では この集落の名は馬坂(まさか)にするかの』ということで馬坂になったのだとか。 実際 行ってみると 殿様が驚くのもうなずけるというか、妙なところに県境があるんですよね。普通は峠の中ほどに県境があったりしますが この田口峠は、峠が まるまる長野県。峠から群馬側に下って来てもまだ長野県。よって 峠から群馬側にある一部の集落は生活圏としては南牧エリアに含まれているにもかかわらず住所が長野県なので通学などでは峠を越えて長野方面へ通っていたなんていう話も 嘘か本当か聞いたことがあります。群馬の殿様が余程のんびり歩いたせいで 峠を越えなくてはならかった児童たちは 災難でした。 そういえば この峠には「日本で一番海から遠い地点」もありましたから 新潟1号で行かれてみてはどうですか?

<過疎の村/限界集落>
本当に川の上流の奥の方に行くと「こんなところにまだ人家があるのか?」と思われるような古い家屋があるね。人が住んでいるのかどうかもわからない。まさに「八ツ墓村」や映画「七人の侍」の村落を思い起こさせるよね。毎月10人ぐらい人口が減ってゆくのだから先は見えているよね。しがみついて暮してゆくのは墓に未練があるお年寄りだけだろう。さみしい話だね。しかし、『何とかせねば・・』と気を張ることもないんだよ。川の水が上流から下流に流れるのを止めることはできない。自然の摂理だよ。あらがってみてもしかたない。かってのシルクロードで栄えた楼蘭や敦煌の遺跡でみるようにいつか滅びてゆくんだ。昔には戻らない。それよりも点在する数少ない人家の防火措置として若い消防団の労力を消費しなければならないなんてなんか解せないね。数すくない若い力は疲弊したこの国のためにもっと有効なことに使うべきと思うね。彼らの給料も大事な国税でまかなっているのだから。
      合掌  やまねこ  拝 

『どっこい、みんな生きている!』って感じなんだよね。
さすがに、国際観光都市・富士五湖 にはそういった集落はほとんど見当たらないけど、昔カルト教団で有名になった所付近には遥か昔に時が止まったかのような集落がいくつかあります。
1180年平安時代に記された書物に記録の残る『官道・若彦路』沿いに風情のある風景と暮らしが点在しています。

春先、河口湖から峠を越えて行くと、突然、桜の大木があちこちに点在する集落が開ける。人の気配はない。
黒沢映画『夢』の一番面のような景色。
美しさに感動するのと同時に、異次元に迷い込んでしまったようなと言うか、タイムスリップしてしまったようなと言うか…。
それまで感じたことの無い、様々な感情が渦を巻く体験をした事があります。

そういう景色もそうそう長くは存在し続けないなだろうね…。

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このページは、katajiyaが2009年6月20日 06:17に書いたブログ記事です。

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