2009.09.07(月)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 17.5℃
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 17.5℃
おはようございます。
週が入れ替わり、ここ南牧村はすがすがしい朝の空気に包まれて左手東の空一帯は山の向こうに姿を見せていると思われる朝の日ざしに下から照らされて、白く光って見えています。
運がよければ朝の早い時間の一瞬だけ見ることができる鴇(とき)色に染まる西の空。どうして朝の時間にあんな色を見せてくれるのかは分かりませんが、まれに遭遇することがあります。 やっぱり朝日の影響か何かあるのでしょうか?
長女愛子と一緒に早めの朝食を頂いて再び外の様子を確認すると、先ほどまで横たわっていた灰色の大きな雲の塊は消え、空はすっきりと晴れ渡っています。 よい天気になりそうなのです。
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やっぱり・・・人間である以上は心底に、どうしても受け入れ難いと感じてしまうような性格の相手や「虫が好かない。」あるいは「生理的に合わない。」と感じてしまう相手がひとりやふたり居るものかもしれません。
もっと軽い言い回しを使えば「苦手なタイプ」と感じてしまい、以降は無意識に遠ざけようとしてしまいがちな相手。 きっと誰しもあること、思い当たることがあることではないかと思います。
人ひとりを理解するというのは考えている以上に膨大な時間と機会が必要なもので、たった一瞬に近いようなひらめきで判断していたとしたら、考えようによってはとても自分にとって損をしている場合が有り得るように感じます。
自分が避けようと感じている相手の何を知っているのか、じつのところ知る努力を怠っているだけになっていないのか、360度のヒトトナリがあるとして、そのうちの3度見ただけで判断してしまっていないのか自問すること多々あります。
機会があって「苦手」と意識していた相手と共同の作業や活動をして、その印象が大きく変わっていく経験というのも誰しもがあるのではないかと思うのです。 いかに相手を知らずに判断していたことかと反省するものです。
それでもどうしても合わないタイプというのはやっぱり居るものですが、少しでも知る努力を心がけることができればずいぶんと少なくてすんでいるのかもしれません。ということは自分にとって大きなプラスになるということなのです。
なにかと憎しみや妬みが渦巻く人間社会にあって、一人でも多く苦手と感じていた相手を知ることができ、自分の知らなかった角度から見える相手の姿を見つけることができたとしたら・・・・それはとっても嬉しい出来事になると思うのです。
妬みや憎しみからはなかなか前向きなものを見つけることは難しいもんです。できることならだれしも嬉しい誤算・嬉しい発見をしたいものですよね。
自戒の念を込めて。

どらごんふりゃいどの
床に座り込んで夜遅くまで、プラモデルに夢中の少年のようにゴソゴソ・ゴソゴソといじくっている姿が目に浮かびますよ。完成してガキのように悦に入っているその顔まで浮かんできました。『どらごん君よかったねぇ~!はい、よくがんばりました!』っという感じでしょうかね。がははははは!
Ristenpartどの
ノー天気に暮らしている私になにがあるということはございません。
ただ日頃からいろいろな方々と接するに当たっていつもいつも『この方のいま私が見ている姿って言うのはほんの一部分なんだろうなぁ・・・。』などと上の空で考えていたりするものですから、そのあたりを書かせていただきました。
その人物の別の角度からの姿を見る機会を、自分で避けていたとしたら損しているのかもしれないな。なんて思うことしばしばなのです。
ふたつのエピソードそれぞれ興味深く読ませていただきました。感謝!
やまねこどの
おっしゃる通り!無理して共有する必要は無いのですよね。違っていることを理解することはできます。
先週の土曜日、待望のNewPCが完成。
必要なセッティングや快適化を経て、ここにやっと通常のオンライン状態を取り戻ることができました。
苦手な人、居ますよね…。
私の場合、商売柄多くの初対面の人と接するわけです。
年間2千人前後の人すべてと笑顔で接しなければならない。
嫌になる事も多々あるわけですが…。
しかし、相手の方が私をどう思っているか、そこまではあんまり考えない。
『う~ん、なんかこの人苦手だなぁ…」って思った瞬間に自己中心的な自分を省みる余裕を持った人はそう多くないと思う。
私の場合、相手を知る事よりも、どう接したら相手に好感を持ってもらえるか、そういう事を念頭に働かなければならないので、けっこう疲れる。
でも、そんな努力の積み重ねで25年間メシを食ってきたんだから、まあ、そこそこ合格点なのかなって思う。
『嫌な人だな…』って思ってた人がまた来てくれたりすると、もうその人を嫌いとは思わなくなる。
そういう仕事上の自分を普段の人付き合いに生かせばいいんだろうと思うんだけどね。
なかなかそうは行かない。
人付き合いってのは難しいもんだね。
おそらく自分もかなり誤解されてる。
katajiya様、なにかあったのでしょうね。
仙人でない限り、一人で生きていくことは
できませんから、人との付き合い方は
宿命ですね。
人付き合いといえば、映画評論家の淀川長治のことを
思い出します。
その昔、TBSの夜の淀長さんのラジオ番組は
欠かさず聴いていました。チャプリンや
マルクス兄弟といった古典ものから、
流行の映画まで、配役はもちろん、シーンの
一つまでまるで今、銀幕を観ているかのように
喋る淀長さんは尊敬の対象でした。
このラジオ番組のリスナーを中心に
淀長さんを囲んで「映画の友」という
ファンクラブがあったのですが、そこで
淀長さんが、ことあるごとに言っていた
モットーは「僕は未だかつて嫌いな人にあった
ことはない」っていうことでした。
顔は嫌いでも足の裏まで嫌いな人はいないって
いうことでした。晩年、そういうモットーと
反した生き方をしてたことを、本人は
言ってたみたいですが。少なくとも、
他人を単なる他人とだけしか観察できない人には
映画評論は務まらないといった職業観に
裏打ちされたモットーだと私は理解しています。
どんな端役にも人生があり、出会いがあることを
淀長さんは教えてくれました。もちろん、
映画の中の話ではなく、世の中の話としてです。
昭和天皇が「雑草という草はない」と言った
話は有名ですが、どんな草にも存在する理由が
あり、そういうことも知らずに一言に片付けては
いけないということでしょう。
まぁ、なかなかそういうわけにもいきませんが。
<合わない相手>
長く人間やってるとどうしてもいるよね。
会社時代何人かいました。どうしてなのかと考えたことが何回もありましたが、①物事を進めるにあたっての考え方がまるで違う②今、何が一番大事かの優先順位の付け方が自分と違う③集団組織内でのKY的人物などが思い出されます。もちろん良いところも発見できますが「ソリが合わない」というのはどうしてもいます。会社なんかは特に上司にその類の人が来た場合は「どうせすぐ異動になる」なんて思っていました。
本質的に悪人ではないのだから「あれが彼の信条、流儀なのだ」と理解すればいいんだけどね。
(まだまだ人生修行の足らない)やまねこ