2009.11.12(木)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 8.5℃
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 8.5℃
夜明け前の空にはやや細めの下弦の月が、まだ煌々とかたじ屋正面・南の空にひかるのが目に入ります。薄暗い空には雲の気配は少なく、西の空に大きな塊がゆっくりと動くばかり。
やや!もしかして・・・今日はいい天気になるのかな?
もしやと思いながら、某ヤフーサイトの天気予報・ピンポイント予報で当地南牧村を確認してみると、湿度はさすがに高いものの、ずらりと晴れマークが並ぶ予報となっておりました。
おはようございます。
この数日は、お天気が下り気味だったこともありまして、湿度があり、朝の気温はそれほど冷えることはなく、なんだか拍子抜けしそうな朝の気配なのです。
それでも、一度味わってしまった火のぬくもりは忘れがたく、もはや朝の薪ストーブ無しではこの時間をやり過ごすことができなくなってきてしまいました。そんな季節になってきているんですね~。
目の前にニョキッと立っていながら、このところ気にもしていなかったつがいの銀杏。ハッとするほど色付いて、そのほとんどの葉っぱが黄金色に輝いていることに気が付いた昨日。
雨に濡れる黄金色の銀杏の立ち姿というのは、なかなか絵になるもんです。
娘たちがまだ小さかったころ(次女真子はいまだに小さい!最近まで私の胸ポケットに入るくらい・・・というのは冗談です。)寒風が吹き抜ける中、農道二号線上に浅く積もる銀杏の葉を掻き集めては空に向かって放り投げ、キャッキャ・キャッキャとはしゃいでいたのを思い出します。
山の彩りは、かつての「街なか」磐戸宿の周辺にまで降りてきて、雑木林のこんもりとした山肌を色とりどりに飾りつけてくれ、目を移すたびになんだかうれしくなるものです。
きっとその昔は、目に映る山並みのほとんどがこの季節になると、今見えている一部のこんもりとした雑木林だらけの風景だったんだろうなぁ・・・・と考えると無性に見てみたくなります。
振り向いても、ぐるりと一回転しても、左を見ても右を見ても、晩秋の彩が冬を前にしてシーズン最後の輝きを見せていたことを想像するとなんともいえない高揚を感じてしまいます。(かるく洒落てみました。わっかるかなぁ~?わかんねぇだろうなぁ~。)
いっそのこと、現在の山並みの大半を占める杉たちも、紅葉することを覚えてみたらとも考えます。なにも常緑の針葉樹であるという分類分けにとらわれることもないと思うのです。
いつも言うように、杉たちだってみんなが同じである必要はないと思うのですがいかがなものでしょう?
なかには「変わり杉」なんて呼ばれる変種が存在してもいいのではないでしょうか。
全部とはいいませんから杉山のところどころに、雑緑の針葉樹「変わり杉」が生育し、今頃の季節には黄色や橙色、燃えるような赤にその姿を染めるなんていうのも楽しいような気がします。
そのうち周りの緑色の染色体しか持っていない杉たちも影響を受けることは必至。年を追うごとに自己主張することを覚え、毎年毎年晩秋の頃になると競うようにして山を染め上げるなんていうのもいいもんだと、すっかり妄想に駆られる私でした。
日の出前の空気に比べると、すっかり明るくなってきたこの時間のほうが外の空気に冷たさを感じるのは気のせいなんでしょうか?

やまねこどの
「紅葉(こうよう)に高揚(こうよう)する・・・」のことでしょうか?
どらごんどの
考えてみれば杉も可哀想ですね。
あるときはもてはやされ、日本中で植林されて大事にされてきたかと思えば、金にならないと見るや急に厄介者扱いされ、この時期になると秋の色付きがないというだけで冷たい目で見られるんですからね・・・。
みんなおんなじ木木なんですよね。
<一文字杉>
バイオテクノロジーが進化し遺伝子操作で貴兄の言うように黄色い杉ができてもいいね。これを山に植林し高校野球のPL学園のような人文字(杉文字)が出せるとおもしろい。「ここは南牧村。民度向上努力中」なんてどうだろう。ヘリコプターからも見えるように。ところで昨日のコラムの洒落(「わかんねえだろうなあ・・」)が判りません。開示されたし。
当地の住民の民度向上をひたすら願うやまねこ
先日katajiyaさんを訪れたとき、朝もやの煙る対岸を眺めながらの一服。その時に話しましたね…。
『あの山、本当は全部あんな広葉樹に覆われていたんだろうね…。地形が険しく植林できない所だけが自然の姿を留めてる。山全体が広葉樹に覆われていた頃は、本当に綺麗だったんだろうな…』
木へんに無と書いてブナ(橅)。
その昔、使い道が無いという事でそんな不本意な漢字を当てられたと聞きます。
しかし、今では世界遺産として認められている橅の森。
落葉広葉樹の森がどれだけ価値があるものか、我々の子供達には的確に教えて行きたいものですな。