2010.02.16(火)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 1.5℃
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 1.5℃
群馬県は南牧村から、おはようございます。
まだ薄暗さが残る朝6時過ぎのかたじ屋近辺では、ときおり冷たい風が吹きぬけて、おもわず肩をすぼめてしまいそうな気配となっています。
上空には黒い雲が怪しげに這い、東側半分を覆い尽くして、いまもなおうごめいております。なんだかあやしい・あやしい・・・、こなきじじぃでも現れそうな気配を感じます。
高齢化・少子化が待ったなしに進行している日本国。
文明が高度になればなるほどに少子の傾向は高まってくるなんて報告もあるそうで、いかんともしがたいものがあるのかもしれません。
それでも若い世代が新たな命を授かり、1人の人間として共に生きてゆき、次の世代として育て上げながら歪になりつつある世代人口を修正してゆければそれにこしたことはないのです。
同時に高齢化世代やこれから高齢化と呼ばれる世代に突入していく方々も、老いてゆくばかりと悲観ばかりせずに、第二の人生、はたまた第三の人生とばかりに体の許すうちは精力的に動き回り、世の中も至極当たり前のこととして受け入れていかなければいけません。
医療の進歩、食生活の変化、労働形態の変遷などによって、人間の寿命は著しく伸び、いまや平均年齢80歳とも言われています。60歳を機に引退・・・、なんていうのはもはやいまの時代にはそぐわないもの、いまや60歳といえばバリバリの働き盛りと考えてもよいのではないかと思います。
当然のことながら、体力的な衰えというのはあるだろうと思いますが、それを補って尚たっぷりと余るほどの豊かな経験・知識・応用力・人間性などなどをもってすれば、あらたな挑戦さえも可能にしてくれるだろうと思います。
江戸時代の鬼才・浮世絵師の葛飾北斎。
「富嶽百景」の跋文中にこんな言葉を残していたそうです。
~70歳までに描いた絵などは取るに足らないものばかりで、73歳にしてようやく鳥獣虫魚の骨格などが分かり、腕がますます上がるのは86歳になってからだ。~
ひとつの道を極めれば、その道程は果てしなく続き遠いものであることに気が付くのかもしれません。世に言う定年などという年齢などようやく年季明けの域に達したに過ぎず、老いたと口にする暇もないほどに活躍の場というのは提供されてしかるべきだろうと思います。
高齢化社会へと突き進んでいくなか、過去の慣わしや悪しき習慣などに惑わされてはいけませんね。
若干44歳、ハナタレ小僧のたわごとでありました。

やまねこどの
私の知っている範囲にはなりますが、多くの年配者の方が年齢をうかがって驚いてしまうようなお達者ぞろいですよ。もちろんそうではない方も多くいらっしゃることと思いますが、まあ元気な御仁が多いのは確かです。
<「楢山節考」もとい!年寄り考>
日本人の平均寿命はどんどん伸びて男:79才、女:86才になっている。1950年の男性寿命が58才だったことと比べても驚くべき伸び率と言えよう。厚生労働省のバカ官僚のぬか喜びする顔が見えるようだ。いくら寿命が延びたとはいえ医療が発達し延命治療をしている半ば植物人間同様の年寄りも寿命の平均値計算に含まれることを忘れてはならない。これらのほぼ人生を卒業したお年寄りがどんどん増加しており国税で賄う介護費が急増している。介護従事者も非生産的な仕事が増えるし、介護を受けるお年寄りもそれで平均寿命が延びていることを喜んではいない。貴兄のコラムにある葛飾北斎は確かにすごいと思うが86歳で絵画開眼は本当だろうか。よく筆が震えず持てたものだ。ここで言う北斎のすごさは老いてなお維持している精神そのものだと思う。まさにサミエル・ウルマンの詩そのものだ。翻って本こらむのタイトルに相応しい当地のお年寄り衆には残念ながらお目にかかっていない。「楢山節考」とまではいかないが小生には皆国税の社会保障費を浪費する存在に見えてしかたがない。日本一の高齢村だからしかたがないが・・。やはり平敦盛ではないが『人生50年下天のうちにくらぶれば・・』がいいのではないか。
介護問題がこの国を滅ぼさないか心配しているやまねこ