2010.03.13(土)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 -1.0℃
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 -1.0℃
頭のてっぺんに乗せていた黒いプラスチックのバケツはすぐそばに転がって、その姿に頭と思しき跡形はありません。
残っているのは融けて無残な形となった下の部分の元大玉、いまでは雪の塊。腕の変わりに差し込まれた2本の竹の棒と、ピアノ教室に通ってくる生徒の子供たちが飾りつけた目や鼻、草や木の実でこしらえられたネックレス?がそばに落っこちています。
まるで夢のような3月の積雪でした。
おはようございます。
南牧村は今日も穏やかなあさとなりました。
<杏の花芽:画像はクリックで拡大します>
作業場横の杏の木には今年もたくさんの花芽が付き、その小豆色の豆粒たちが開花の頃合を見計らっているようです。
気に留めて足元を見てみると、水分を蓄えてきた大地には緑色をした小さな植物が葉を広げはじめ、この季節によく見かける小さな小さな青い色をした花が、しがみつくように地面すれすれの高さに花を咲かせているのを確認。
ゆっくりとした足どりで、ここ南牧村にもあたたかな季節が近づいてきています。
いまの時期、痩身の有明月は姿を見せるのが明け方近くとなっていますので、日が暮れてからの上空には真っ黒い空と無数の満天星をみることができます。
真っ暗な外を灯りを点けずにそろりそろりと歩いてみると、はじめはおっかなびっくりで、目を見開いているのにな~んにも見えないという不思議な感覚。
記憶に残っている映像を頼りに『たしか、5~6歩進めばガードレールがあるはず。』とすり足を進めてガードレールの感触を確かめてみます。
不思議なもので徐々に真っ暗な感覚に慣れてくると、体中のあらゆる感覚が活発に活動し始めてきて五感が研ぎ澄まされてゆくような気がしてくるのです。
じっと気配をうかがっていると、周りにあるすべてのものからその存在を感じることができるのです。
こんなに便利で、あらゆるところに配慮が行き届いていなかった頃までは、夜の闇の中で当たり前のように感覚を尖らせて気配を感じ取る行動を取っていたのだろうと思います。
ときどき闇夜の中に自分を置いてみると、鈍りきっている本能のような感覚が目を覚ますかもしれませんね。
ただ・・・この時代、真っ暗闇の環境を探すことのほうがむずかしいかもしれません。
わざわざ車を飛ばして南牧村まで来るのもなんですからね・・・・。

かたじやどの
いやはやそのように言われると、まるで旨い料理をあれもこれも出されているようで、めうつりするばかり。
どの景色からいただきましようか・・・・(笑)
やまねこどの
いやはや有難うございます。
「城達也」なつかしいですね。
深夜放送はよく聞きました。一番夢中になったのは中学時代で、学校内での多くの話題はそれでした。
オールナイトニッポンやパックインミュージックの始まりは60年代後半からかと思います。
よく聞いたのはパックインで「なっちゃん・ちゃこちゃん」・「愛川欽也」・「小島一慶」あたりです。
ところで、ラジオ界での「城達也」はFM東京のジェットストリームのみの、パーソナリティーを務めていたかと記憶していますが・・・間違ったらごめんなさい。
この局が群馬でちゃんと聞けるようになったのは、70年代中以降かと記憶します。
その前までは埼玉までで、下宿を始めた夜に、初めて聞いたのがジットストリームで感動!の一言でした。
イージーリスニングの言葉を知ったのもこの時期でしたね。
かっぱどの
雨に煙る谷あいの集落・・・なんていうのも絵になりますよ。
かたじやどの
おはようございます。
当然ながら、前橋と南牧では天候の塩梅が違いますね。
晴天を狙って行こうと思っているのですが・・・天気予報と運にまかせてスパッと出掛けるしかないようです。
「満天の星・・」見に行きます。
<城達也>
かっぱどの
なんか昔の深夜ラジオ放送、オールナイトニッポンの城達也のナレーションを思い出しそうなロマン溢れる文面ですね。
最近ラジオをよく聞くやまねこ
かっぱどの
その昔、武芸に秀でた使い手は、暗闇で襲い掛かる刺客の動きを、闇の中から伝わってくる殺気と動きの気配で感じ取っていた。なんて時代小説のくだりを読んでいると、真剣勝負に生き残るために研ぎ澄まされていく生死をかけた本能同士のせめぎあいのようなものを感じて、なんだかゾクゾクッとしてきます。
天体に関して私は素人ですので詳しいことは分かりませんが、星空じたいは一年中お天気と月の加減がよければ見えると思います。でもやっぱり寒い時期のほうがより空気が澄んで遠い位置まで望めるのではないでしょうか。昨晩も満天の星たちが煌いていましたよ。視線のすぐ先に横たわる電線さえなければもっといいのですが・・・。
やまねこどの
必死になって両目を見開いてみても何ひとつ暗闇から見いだせない時のあの不思議な感覚。パニックに陥るというのも分かるような気がします。
どらごんどの
詳しいことはわかりませんが、なんだか嬉しいような気分。年齢的に近いせいでしょうか。
よ~し、俺たちもいっちょ!という感じですね。
ライトの光が吸い込まれていく闇の静けさ・怖さ。
そんな心細さを和ませてくれた力強い星達の輝き。
もう幾久しく味わっていません。
撮影ポイント近くで一人過ごす夜、食事を済ませランタンの灯りを消すと、やや間をおいて静けさが増し、勝手に想像してしまう怖さが、木々の間から近寄って来ます。
日中心身を浄化してくれる力や和みを感じる林や森なのに。
感を鈍らせる為、酒でごまかすことも多々ありました。
星空はそんな気を紛らす最良の対象でしたね。
まっ、宇宙が好きなんですがね。
かたじや殿のように「気配を・・・」なんて大胆なことを暗闇の中でやったことはないのです。
いやはや小心ものなので(笑)
南牧村でダイアログ・イン・ザ・ダークができそうですね。
かたじや殿の言われる「真っ黒い空と無数の満天星」を見る時期は今のうちですか?
<闇は体で感じる>
御説のように闇は目だけでなく五体で感じるものなのだろう。殺気とか妖気とかオーラに似たようなものだ。それにしても闇夜と言うのは本当にまっくらだ。左右はおろか上下も分からない。手さぐり、摺り足というのがよくわかる。プラネタリウムの開始直前がこんな感じだね。パニック障害を起こす人がいる。
「おいらの人生真っ暗闇で・・」の鶴田浩二を思い出したやまねこ
微妙に暖かい南東の風が吹き荒れる山中湖の朝です。
40cm積もった雪も残すところ5cm。
春の淡雪とはよく言ったものです。
暗闇といえばわが国の情勢もなかなか闇を抜け出せませんが、1点の灯りを見つけました。
学士院の恩賜賞にiPS細胞の山中先生が選ばれましたね!
『へ~、そうなんだ…』ってのがほとんどの方の反応だと思いますが、実は画期的な受賞なんですよ!
学士院の恩賜賞と言えば日本のノーベル賞にあたり、学術的な分野では我が国でもっとも権威のある賞ですね。
今回は100回目という記念すべき年でもあります。
何が画期的なのかと言うと、山中先生以外の先生方の年齢を見てください。
今までは『これからも頑張って日本の為に研究してください』というより『今までよくやった!ご苦労さん』の意味合いが強かったのですが、山中先生は47歳!俺たちと同世代です!
嬉しい事ですね。