2010.03.19(金)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 2.0℃
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 2.0℃
かたじ屋裏山の中腹を這うようにゆっくりと包み込む朝のモヤは、身の丈五尺四寸余りの私が手を伸ばせば届きそうな低さでモヤっています。
霞む視界の向こうには、その上の雲の切れ間からかすかな空の色。
このモヤが晴れるときっと、上空には日に照らされて白く光る雲と青い空が望めるようになりそうなのです。
一足はやく満開となっていた農道脇の梅は盛りを終え、代わりに少しはなれた梅林では日当たりのよさそうな農道に面した梅から順々に、奥の裏山側に向かって白い花を目一杯開花させています。
面白いですね。
決まりごとのように、順々と開花してゆくリズムというのはどのようにして掴んでいるんでしょうか?グラデーションのような遠景です。
おはようございます。
けさはなんとなく、サミュエル・ウルマンの有名な詩の一編を思い出し、父親がよく口にしていた『いつも幼子のように・・・。』という言葉を思い出し、探し出してサミュエル・ウルマンの詩「青春」の全文を読み返してみました。
ともすれば身をゆだね、流れるままに流されようとする自分自身に対しての戒めであり、勇気と探究心と情熱への標ともいえる名文です。
「青春」 ~サミュエル・ウルマン~
青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。
若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、
安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。
人間は年齢を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。
歳月は人間の皮膚に皺を刻むが、情熱の消失は心に皺を作る。
悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させ、
雲ひとつない空のような心をだいなしにしてしまう元凶である。
六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬・夜空に輝く星座の
煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・
人生の喜びとそれに対する興味を変わらずに胸に抱くことができる。
人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。
自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。
希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。
自然や神仏や他者から、美しさや喜び・勇気や力などを感じ取ることができる限り、
その人は若いのだ。
感性を失い、心が皮肉に被われ、嘆きや悲しみに閉ざされる時、人間は真に老いるのである。
そのような人は神のあわれみを乞うしかない。

どらごんどの
私もどらごんどのに「この世に雑草という名の植物は無いんだよ!」と諭されました。胸に刻んでおります。
やまねこどの
御仁の「なぜなぜ坊や」のごとき探究心と何事に対しても興味を寄せ吸収しようとする姿勢、豊富な経験とウィットに富んだ発想。十六歳にも負けないほどの豊かな心を持ち続けているではありませんか。
やまねこどの恐るべし、なのです。
サミュエル・ウルマンの詩をここで読めるとは思っても居ませんでした!
【青春】は私も座右の銘としている詩です。
第2次世界大戦終結後、天皇陛下とマッカーサー元帥の会談後に撮影された写真。その部屋の壁には、Youth is not a time of life-it is a state of mind の言葉が掛けられていました。
天皇陛下が初めて民間人と一緒に写真に写ったという、我が国の歴史上極めて重大な出来事のあった部屋に掲げられていた詩なのです。
陛下はそれをお読みになり感銘をお受けななったとの言い伝えもあり、若い頃はそれを真似て自室の壁に額にいれたこの詩を飾っていました。(笑)
私自身は、『この世に雑草という名の植物はないんだよ』という陛下のお言葉に感銘を受けて、昭和天皇の大ファンになり、環境教育に目覚めたんですがね…。
かたじやどの
<時には母のない子のように>
「いつも幼子のように」で表題のカルメン・マキの歌を思い出した。無表情な歌手だったなあ。サミュエル・ウルマンの詩「青春」は昔から素晴らしいと思っていた。「青春」の定義が特にいい。ただ貴兄は「心のありかた」と記述しているが「心のありよう、心の様相」ではなかったろうか。いろいろな人の訳があるが後者の方がピッタリしているような感じがする。
「青春とは何か」ではなく「青春とは何であったか」を思うやまねこ