2010.05.15(土) 土曜日は半ドンでした。昔は。

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2010.05.15(土)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 5.0℃


けさも寒い朝です。

とうとう薪ストーブに火を入れてしまいました。

火はこたえられませんね・・・。あったかいのです。



本日は週末のさたでぇ~!となりました。

さたでぇ~!といえば、私が子供の頃は土曜日でも当たり前に授業があったものです。

たしか半ドンといって午前中だけの授業だったように記憶しています。

この土曜日の授業が終わったときの開放感といったらたまらない嬉しさがあったものです。

もちろん給食はありませんでしたが、腹ペコのおなかを抱えて帰る自宅への道々は、翌日が休みであるという開放感に満たされ、空腹感よりもウキウキ気分の道草だったように記憶しています。

いまでは土・日休日というのは当たり前のご時勢となり、会社も学校もほぼ日本中が当然のように週末の連休を楽しんでいるようです。



昨日でしたか、お昼のニュースの中でこんな話題が流れていました。

東京都の多数の自治体で、来年度から本格的に実施される「ゆとり教育」からの転換に伴う「脱・ゆとり教育」。

ついこの間まで盛んに「ゆとり教育」を連呼していたように思うのですが、今度は「脱・ゆとり教育」なのだそうです。なにがどうなっているのか私にはよく分からないのですが、どうも国際的な学力調査によるランクが気になってのことのようなのです。(まあ、そんな単純なことだけではないと思いますが・・・。)



古くは1970年代から提唱され始めていた「ゆとり教育」。

その後、日教組、当時の文部省、時の内閣直轄の臨時教育審議会などによってさまざまな角度から審議検討が繰り返され、度重なる学習指導要領の一部改正や全改正などが行われ、一部科目の廃止や新科目の新設、授業時数の削減などが行われていたようなのです。

実際に教育現場で、一般の目にも分かるような形で現れたのが、1992年の2学期から開始された第2土曜日の休業。これを境として「ゆとり教育」がスタートしたという認識の方が多いことだろうと思います。

その後、1995年には隔週での土曜休業、学習指導要領の全改正を経て、2002年からの完全週5日制が実施されたということなのです。

もちろんそれに伴って、さまざまな「ゆとり教育」のためのプログラムが開始されることになり、この2002年をもって完全移行と判断している場合が多いようです。

結局、それから数年とたたずに、今度はゆとり教育による学力の低下が問題視されるようになり、せっかく作った子供たちへのゆとりの時間は、多くの場合私塾などへと向けられ、我が子の学力を心配する保護者たちはますます学校現場への期待を薄くしていくことになります。



ゆとり教育そのものの方向性には決して誤りがあるとは思えないのです。

問題があるとすれば、ゆとり教育とは名ばかりの学力優位、はじき出された順位への神格化、もっとも憂慮すべきはその裁量が現場サイドになく、一方的な通達によって現場が動かなくてはならなかったと言うことではないかと感じています。

もっとも大切な現場を担当する教員たちに、肝心のゆとりが無いのですからよい教育を志していても雑多な報告書類、各種アンケートに代表されるような雑務に追われ、教え・育むなんていうゆとりの教育を伝えることが叶わないでいたように思います。

大変なジレンマがあったのではないかと思います。

豊かな人格教育があってこそ、豊かな学力が予備としてついてくるのです。あくまでも予備でしかないのです。一時的な学力判断でその度にうろたえて、国際順位が去年より下がったのどうのと騒いでは教育現場に修正を求めていたのでは、なにも成就するはずがありません。

もっとしっかりと根を張って、教育方針の裁量を現場に委ねてみてはどうかと思います。うえのほうで子供たちと接することない有識者と呼ばれる方々やお役人が国際評価やマスコミを気にしながら練った作戦ではとてもよい教育を作り出すことはむずかしいように思います。



北欧の国フィンランドは、まさにゆとり教育の先駆者といえます。

完全週5日制、授業時数は日本のゆとり教育よりもはるかに少なく、いわゆる「総合的な学習」に要する時間もかなり多くとっているのです。

それならば例の国際的な学力順位というものはかなり落ちているはずと思いきや、その多くの科目において世界のトップレベルをキープしているのです。なにが違うのか?大いに学ぶべきです。

子供たちが楽しみながら学習をする、皆同じでないことを当然として、同じように進んでいけない落ちこぼれる子供たちにはたとえ義務教育の過程であっても留年してじっくりと学ばせケアしてゆくためのシステムがあり、留年するということに対してまったく偏見というものが存在していないといいます。

そして何よりも、教育方針から教科書の選定に至るかなりの細部にまで現場に裁量権が与えられ、裁量権を持つ現場スタッフは強い責任と達成感を得ることができるわけですから、さらによい教育を目指すことができるというわけなのです。

そのすべてがよいというわけではないと思いますが、多くの学ぶべきことがあるのではないでしょうか。


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かっぱどの

おっしゃるとおりです。子供たちにもっとも影響を与えることができるのは親。もっとも身近に接するその肝心の親たちにどこまで意識があるのか時々首を傾げてしまうこと大有りです。

そして一日の多くを過ごす学校で出会う教師の存在もまた、子供たちに多大な影響を与えることができる存在なんですよね。多感な子供たちは大人たちを見ているんですね。大人の役割はとても大きいはずなんですけど・・・。

やまねこどの

文部省役人の子弟の弟子入りは現在行っておりません。あしからず、ご了承ください。~師範・かたじ屋~

かたじやどの

おはようございます。
我が家も朝の冷えに、ついファンヒーターにたよっているこのごろです。
この朝もです・・・コーヒーが旨い朝!!


「ゆとり教育」家の子供はその中で育ちました。
が・・・ニュース等で騒がれているような実感はありません。最初から「ゆとり教育」の中で暮しているわけですからね。
比較のしようがない(笑)
でもおそらく、どの教育方針を打ち出しても、共通するのは本人と家族の繋がりかとおもいます。
その繋がりには「しつけ」が大きく占められると思うのですが。
学校教育の前に家庭のしつけ・教育があるのでは・・・。

考え・想い、まとまらずのままここで失礼します。
中途半端になるのはイヤなのですが、どうも一言でしゃばりたくて。
ご容赦下さい。
イヤハヤこれから、出勤準備です。


かたじ屋どの
<半ドン:通勤時間の方が長かった?>
「半分ドンタク」の略らしいね。15年位前までは殆どの会社が「半ドン」制だった。サラリーマンが近郊に持ち家を持つようになり通勤時間が片道1時間以上になる人が増えてくると午前中3時間の為に2時間以上電車に乗るのがばかばかしくなり、年休を取得する人が増えた。出社するのは自宅にいてもすることがない人か土曜午後を同僚との麻雀に充てる人だった。小生もその一人だった。
  半ドンとは知らず帰宅した小生に「どこか体調悪いの?」と聞いた女房殿を思い出したやまねこ
<ゆとり教育>
何でまた元に戻るんだろう。文科省の役人はバカか。「一番じゃなければいけないんですか。二番ではだめなんですか」と言った事業仕分け時のセリフがあったがフィンランドをもっと研究しろと言いたい。また学習塾がはびこり学校秀才ばかり増える。
  文科省の役人の子弟を貴兄の道場でシゴく事を望むやまねこ

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このページは、katajiyaが2010年5月15日 05:50に書いたブログ記事です。

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