2010.06.22(火)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 20.0℃
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 20.0℃
おはようございます。
二至二分のひとつ夏至の節気に入り、一年でもっとも昼が長い期間となります。
こんな梅雨空を見上げていたのではなかなか実感が湧きませんが、昔からそう決まっているようなのです。
けさは鈍いあさ。
この時間になっても、朝の陽射しを見ることができません。
うす雲に覆われた空と、白濁して見える大屋根から上の空気は、ぼんやりと漂って鈍い気配を残します。
昨日までの現場仕事は一段落。
きょうからは作業場での仕事となり、ちょっと気が楽な私なのです。
どうも現場での仕事というのは忙しなくてうまくありません。
すっかり体は工房でのマイペースな制作仕事に慣れきってしまい、大工仕事の体ではなくなってしまっています。
移住前は大工仕事半分、家具の制作半分の"二足の草鞋"で仕事を行っていましたが、現在はすっかり家具木工職人となっています。
在京中、工務店を出て、独立してからもずいぶんといろんな現場をやってきました。
やはり独立して、一人親方としてやっていた兄弟子との新築の仕事、増改築。
毎日毎日あさの5時には弁当を持って現場に向かい、気が付けば春の建て方から暑い盛りの夏を通り越して、残暑厳しき季節を迎えていたこともありましたね。
とにかく夢中になって仕事をしていた時代です。
仕事が甘いときには建売の新築もふたりでやったものです。
安手間の建売仕事のときは、それはもう朝から晩まで、外が真っ暗になっても夢中になって仕事をしていましたし、注文の新築仕事の場合も、兄弟子にライバル心を密かに燃やしては、これまた夢中になってやったものです。
まだ若かった私にとって、ひとまわり以上も齢の離れた兄弟子は、私が弟子として5年間の年季修行をさせてもらった実の親方よりも、はるかに多くのことを学ばせてもらい、盗ませてもらいました。
毎年、このジットリとした蒸し暑い季節を迎えると、あのころの無我夢中で仕事をしていた、暑い夏の現場を思い出します。
今から思えば、兄弟子と仕事をさせてもらっていたあの数年間が、今の私の大きな糧となっているような気がします。
まわりの誰もがさじを投げ出してしまうような厄介な仕事であっても、なんとしても納めるというあの根性とバイタリティ。ほんとうにすごい職人でした・・・。
あっ、言っておきますけど、まだ生きてますから兄弟子は。
おこられっかな。

かたじや殿
兄弟子との数年間が「楽しかった」・・・それは何よりです!
かっぱどの
いやはや、それほどのことでもありませんが、それでもあの兄弟子と行動をともにする機会の多かった数年間は、弟子としての5年間よりもはるかに多くのことを学ばせてもらいました。それに楽しかったですよ。
やまねこどの
今の時代ではめっきり見かけなくなっているようですが、やまねこどののサラリーマン時代には< 薫陶を受けた上司、先生、実務を教えてくれた先輩、競い合った同僚、いろいろ社会人として生きてゆく上で手本となる人達がいた。>と記述のとおりだったろうと思います。
徒弟制度の残る職人の世界と共通するものが多々あると思いますが、やはり違うとすればすべては腕で判断されるということでしょうかね。
どんなに多弁で能書きをたくさん持っていても、所詮は能書き。仕事を見て一目置き、仕事を見て格下と見下すところです。そして、言い方は悪いですがみな意地の悪さを持ち合わせているものです。見事な細工や仕事を盗まれないように昼休みなんかには切れ端で隠してしまうなんていうのもよくあること。
常に他人の仕事を意識して、どうやって納めているのかチラチラと目を配ったものです。
かたじや殿
修行時代のこと。
十数行でまとめられていますが・・・。
奥様と共に、この行間には語り尽くせないことが、ぎっしり詰まっているのでしょうね。
「大きな糧」に、かたじや殿の自負を感じる思いです。
かたじ屋どの
<兄弟子・・上司、先輩、とは違う何かがある?>
薫陶を受けた上司、先生、実務を教えてくれた先輩、競い合った同僚、いろいろ社会人として生きてゆく上で手本となる人達がいた。親方、弟子という関係はもっと奥が深いのかも知れんな。親分、子分となると盃がいる人間関係か。山口組の皆さんの結束の強さは我々凡人には推し量れない。最近話題の相撲界も親方、弟子の世界だが親方や兄弟子に殴り殺された若い相撲取りもいた。博打で暴力団と関係しているなんて不思議じゃない。三波春夫じゃないが「一本刀土俵入り」や「駒形茂兵衛」もヤクザだし。
名古屋場所は中止すべしと思うやまねこ