2010.07.16(金)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 21.5℃
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 21.5℃
けさもやっぱり曇り空の朝となりましたが、なんとなく明るさが感じられる曇り日となっています。
夕刻には、ヒグラシのすこし物悲しげな声が聞こえるようになり、ここ南牧村でもようやく夏の扉が目の前に見えるようになってきています。
しかしどうしてあんなにも憂いを含んだ鳴き方をするんでしょうか?どこか寂しげな夕暮れ時が、なお一層暮れ色に染まっていくような気分になってしまいます。
プラスチック製の青い大きな植木鉢には、学校で育てた朝顔が大きな花を開いて元気いっぱいに育っています。
こぐまくんの育てた朝顔のようですが、持って帰ってきたのは運動会の鼓笛指導に参加している家内。先生から有無を言わさず渡されて、渋々持って帰ってきたようです。
朝顔の鉢を持って帰ってくるということは、子供たちにとっては待ちに待った夏休みがすぐそこまで来ているということ。ということは、親にしてみれば騒々しい一ヶ月間の始まりを意味しているのです。
下校時にピアノのレッスンに通ってくる子供たち。両手にたくさんの荷物を抱え、背中にランドセル、大粒の汗を額に浮かべながらようやく辿り着いたとばかりに玄関先にへたり込みます。
小学校は今日16日金曜日に登校すれば、17・18・19日と三連休。20日が終業式となっていますから、今日が過ぎれば実質夏休みのようなものなのです。
終業式の日は、教室にある私物を何から何まで持ち帰るために、普段は何でもかんでも詰め込んでおく机の中を引っ張り出し、奥のほうから干からびたコッペパンが出て来たり、グシャグシャになったわら半紙の正体を確認するために広げてみたりしたものです。
親に渡さなくてはならなかった学校からの連絡書きが、ガリ版の鉄筆で切ってあったような気がします。小学校も低学年のころだったかもしれません。
たしか、高学年生は今風のスチールパイプ製の骨組みと、天板は横から見ると何層にも重ねてつくられているのがよく分かる角も丸くなった合板の学習机でしたが、低学年生の一部教室ではふたり分が一体となっている木製の机を使用していましたね。
しょっちゅう忘れ物をしてくる私は、当然のごとくしょっちゅう隣の子に教科書を見せてもらい、机の中央付近に教科書を置いてもらい、隣の子は教科書の左側を左手で、少年かたじ屋は教科書の右側を右の手で持って授業を受けていたような覚えがあります。
ほんとうに迷惑なクラスメイトだったことだろうと想像できます。
私の悪ガキぶりはかなりひどかったようで、いまの時代なら間違いなくほかの保護者の方々から吊るし上げられ、学校の問題児扱いになっていたかもしれません。
両親はたいへんだったと思います。
何度となく母親と、菓子折りのようなものを持って、同級生の家家にお詫び行脚をしていた遠い記憶があります。
夕暮れ時。
遠い記憶の中で、玄関先で頭を下げる母親の姿を横目で見ている私の姿。バカ息子の所業に何度も何度もいやな思いをしたことだろうと思います。
夕暮れが町を包み始める風景。
やはり、ヒグラシのどこか物悲しそうな鳴き声が聞こえていたのかもしれません。
いまは遠い記憶となってしまいましたが、思い出すたびに胸がギューッと締め付けられるものです。

かっぱどの
きのうの夕食はおろか、けさの食事の献立まで即座に出てこないルーズな脳みそは、なぜか古い記憶の所々を即座に思い出させてくれることがありますね。
かたじやどの
おはようございます。
「夏のとびら」なかなか詩人でありますな。青空にギラギラと輝く太陽が浮かんでまいります。
もうすぐですね。
この歳になって・・・イヤッ、「お・と・な」になって、意識するようになった事の一つに、思い出(良いも悪いも)があります。
記憶をたどると、時の経過に比べ、以外に近いところにあのです。歳を重ねる毎にこの感は強くなって来ていると思います。
どれもと言うわけではありませんが「つい昨日のように」と言うやつですね。
だから、戦争体験のある方の話や本にふれる時、その方が記憶と向き合う苦労をつい考えてしまうんですね。
まっ、年代のなせる業なのでしょう。
朝から3セットの朝食を作りつつ、間を見ながら書き込みをしていたカッパでした。
これも、「おとな」の醍醐味か???
やまねこどの
考えてみれば13クラスというのは何かの間違いのような気がします。全校児童が1400人くらいだったと思いますので、13クラスもあったわけがないですよね。私の勘違い、どこかで13という数字が一人歩きをしていたのかもしれません。本文中も訂正しておきました。
かたじ屋どの
<机の引き出しの奥の方>
一学年13クラスはすごいなあ。ベビーブームの団塊世代の我々でもせいぜい8クラスが最高だった。高校は都立高校だったが定時制も併設していた。従って教室も机も共用だった。よく机の奥の方に定時制の生徒が食い残していったのだろう、干からびたコッペパンが残っていた。まだこんなのはいい方でクシャクシャなったちり紙の中に乾いたゴム製品が入っていたこともあった。「これなんだぁー」なんて騒ぐ奴もいた。
「日暮し硯にむかひて・・」しかヒグラシを知らないやまねこ