2010.07.22(木)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 23.5℃
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シジミのすまし汁を私の母が良く作ってくれた記憶があります。
それぞれのご家庭によって違うのだろうと思いますが、私にとってシジミといえばすまし汁。現在の我が家の台所を担当してくれている家内にとってはシジミといえば味噌汁のようです。
まあ、どちらも美味しゅうございます。
シジミはすまし汁にすると、特有の蒼白いかすかな濁りとともにその旨みが汁に溶け出して、ただ塩で味を調えるだけで十分すぎるほどのマイルドな味を堪能することができます。
肝心のシジミの身の部分はどうするのか?これも意見の分かれるところかもしれません。
すまし汁にしたシジミの身は、食してもさほど旨いというものでもなく、私には汁にしたときのシジミを一心不乱に箸でつついて食べつくしてしまうという習慣はなく、2~3個モノのためしのように突っついて口に運ぶ程度。
地方によってはシジミの身を一粒残らず食すのが普通の食習慣となっている地方もあるようで、「所変われば何とやら」ですね。
おはようございます。
けさの南牧村はぐるりと見渡す山山の風景に、まるでシジミ汁のような蒼白い霞がかかり、ぼんやりとしたけだるい朝の風景となっています。
牛乳入りこーしーを片手に眺める風景に、蒼白くかすかに濁ったシジミ汁のお椀の様子を重ねていた私かたじ屋だったのです。冒頭にいきなりのシジミ汁、ご理解いただけたでしょうか?
数年前から、村では唯一の運動会となってしまった地元南牧小学校の運動会。
村が主催で数年前まで行われていた村内地区別対抗の村民体育大会は、この地方の方言で言うところの「おおごと(たいへんであるとか苦労をするという意味?)」だという意見が多数を占めるようになり廃止となったのです。
小学校・中学校では運動会があることが当たり前だと思っていた私でしたが、やはり生徒数が減少する中、2校あった中学校を統合しても生徒数は現在30名にも届かない状況。
中学校が単独で運動会というのはどう考えても無理なのかもしれません。
されば唯一残された小学校の運動会に、一部の競技だけでも合同で参加できるようにすれば、中学生たちにも少しだけ運動会の晴れ舞台を経験させてあげられると考えるのは自然といえば自然な発想だろうと思います。
当初は小学校側でさえ難色を示して前に進んでいかなかった自然な発想も、徐々に理解を頂けるようになり、小学校の運動会でありながら村の一イベントのように一部をオープンな参加として開放していただけるようになってきています。
本来は小学校の枠の中で動かしていける単独のスケジュールだったものに、広い判断を示してくれた学校関係者の方々には、機会があればとっておきのダジャレを教示してもよいとさえ考えています。
思えば私が中学生だったころは、毎年の大運動会あり、夏の学年対抗水泳大会あり、秋の文化祭あり、冬の持久走大会あり、といった具合で、盛りだくさんでした。
運動会の数ヶ月前からは、各組の応援団が結成され、大会本番に向けてさまざまなアイディアを持ち寄り趣向を凝らした応援合戦を、生徒たちが自主的に運営・指揮をとって盛り上がっていったものです。
運動会本番が終わった後には、燃え尽きたようなえもいわれぬ感動を共有し、所はばかることなく許された歓喜の声を聞き、感動に震える涙を目にしたことが忘れられません。
今と昔とでは教育現場を取り囲む環境が大きく変わっており、こなさなくてはならない年間予定や授業時間と学習内容。その中で窮屈に身をかがめる教師の皆さんや、管理者の方々には無理難題と映ることだろうと思います。
決められたカリキュラム、スケジュールをこなすだけで窮窮としている教育現場。そんなシステムにしてしまった大方針に逆らうことになるかもしれませんが、村立の地域に根ざした教育現場として小規模校ならでは面白さがあっても良いのではないかと考えています。
水泳大会はおろか、プールさえ使用できない環境。運動会に該当するような行事もなく、『代わりに本校では運動能力記録会などを行っておりますので・・・。』などという機械の様な返答ではない、ときにはおもわずニンマリとしてしまうような型破りな判断というのがあっても許されるのではないでしょうかね。
現場の大変さも知らないような髭面のオヤジがまた勝手なことをほざいているだけかもしれませんが、柔軟な発想から思いがけなく楽しいことが生まれるというのはよくあること。
少しづつでもトライしてみてはいかがでしょうか?

やまねこどの
すんばらしき少年時代!
やまねこどの
「西表で生まれて新小岩で育つ」が江戸っ子の定義ですかぁ・・・・・。ちょっと無理があるかなぁ・・・・。
かたじ屋どの
<江戸前の海、江戸前の川>
川も海も随分きれいになった。公害対策が進み、かっての汚染が無くなって以降、東京湾で泳いではいないが昔の様にはなっていないと思う。小生が小学生の頃は丁度いまの季節は荒川に何艘もの木造和船が四ツ木橋や小松川橋あたりから海水浴客を乗せ葛西の河口の海水浴場へ行った。船から直接海に飛び込む海水浴でいわゆる砂浜はなかった。海もきれいで潜って船底を得意になってくぐったものだ。浅い海底も良く見え足で底を掘りアサリを沢山採った。船頭が炭火の七輪でアサリ汁を造ってくれた。ものすごく美味かった。東京湾名物のハゼも沢山釣れ、これも船頭が「アライ」に調理した。絶品だった。ハゼは東雲海岸でもよく釣れた。東雲は戦後は飛行場でセスナ等が離着陸していた記憶がある。その後ゴルフ場となった。小生はここで初めてゴルフをした。今はウォーターフロント地区の高層ビルが立ち並んでいる。東雲海岸でのハゼ釣り客の餌のゴカイを捕獲するためよく荒川河口に行った。河口の土を掘るとゴカイがウジャウジャいていくらでも獲れた。ゴカイは口にとがった顎がありうまく捕まえないと挟まれて痛かった。女の子がなぜかゴカイ取りが上手だった。これを小松川橋のたもとにある釣り餌屋に売った。5人でバケツ一杯分ぐらい持って行ったと思う。一人200円ぐらいもらい、皆で帰りにこの200円でかき氷を食べて帰ったと思う。懐かしい夏の思い出である。
ハゼのあらいが無性に食べたくなったやまねこ
かたじ屋どの
「芝で生まれて神田で育つ」「西表で生まれて新小岩で育つ」どちらも江戸っ子の定義として使えます。
「四代続かなければ江戸っ子と言わない」とおじいさんから教わったやまねこ
やまねこどの
それは命を助けてもらった親ムカデの命を受けて、子ムカデが迎えに来たのですよ。例の「おむすびころり」にあるように、宴のあとには抱えきれないほどの金銀をお土産にというやつですよ。もったいないことをしましたね。
やまねこどの
さすがは生粋の江戸っ子。一言一言に歯切れの良さを感じますね。聞くところによれば江戸前の海、最近ずいぶんと生物が戻っているやに聞きますが、それでも昔に比べればまだまだなんでしょうね。
ところでやまねこどのは西表島の出だったのでは?
かたじ屋どの
<ん? 右手の甲に何かが・・・>
先ほどこのこらむを書いている時、右手の甲に何か違和感を覚えた。見ると中振りのムカデが這っていた。すぐさまティッシュで胴体を掴み圧殺しようとしたが体全体をソリ返して抵抗した。やむなくティッシュ全体で包み庭に放り投げた。いつぞやの大型のムカデの子供だろうか。親を死刑とせず助命したのに恩知らずな奴だ。ムカデにも仇討があるのだろうか、時効にはまだ早い。
ミミズの夢よりムカデの夢を良く見るやまねこ
かたじ屋どの
<シジミの身はひとつ残らず箸で取って食べる>
シジミ汁はすまし汁、味噌汁どちらにしても美味い。古来東京湾で採れたシジミは将軍吉宗も「紀州のシジミより美味い」と言ったらしい。二日酔いにも効く。身はどんなに小さくても箸でつまみ出し食らふ。これは江戸時代から続く当家の家訓でありこの食作法を踏襲することが江戸っ子の証しともなっている。
荒川の河口でいくらでも取れたシジミを懐かしむやまねこ
かたじ屋どの
<小中学校の合同アカデミー>
30名の生徒数?江戸時代の寺子屋だよ。教科は別として運動会などイベント、行事ものは合同でやってもいいよ。昔の旧制中学では5年制で優秀な生徒は飛び級(年次の省略:1年の次に3年に進級とか・・)もあった。要は実態に合わせて弾力的運用を図ればよいのだ。教科も文部省が決めているもの以外にも、例えば「ダジャレ学」など貴兄が代用教員を務めてもいいものをセットする。文部行政の地方分権を進めれば可能だと思うよ。要は当地含めた地方行政にやる気と能力が備わっているかどうかだよ。まあこの地は明治の風土が脈々と生きているので世代交代が図られないと無理とは思うが。
故小渕敬三氏の蛇退治でその娘を支持する政治風土に呆れるやまねこ