2010.08.27(金)
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 22.0℃
自宅前 薪小屋測候所寒暖計 22.0℃
あさからなんだか、慌しさが行ったり来たりのかたじ屋母屋です。
こなしきれなかった夏休みの宿題を、往生際の悪さで早朝4時から起床して取り組んでいた長女愛子さん。とうとう全部終わらないままに登校せざるを得なくなって諦めがついた様子。
やれ人権ポスターだの、作文だの、習字だの、各教科の課題だのが目白押しの子供たち。見ている私には少しばかり気の毒に感じるほど、こなさなくてはならない課題が多いように思います。
せっかくのなが~いお休み期間中には少々不似合いなほど提出物が多く、連日部活動をしながらの中学生なんぞは、もう少し自主性に任せてやってもいいように感じています。
宿題なんか屁のカッパで遊びほうけてきた私が言っても説得力に大きく欠けますがね・・・・。
おはようございます。
けさも湿度の高い朝、すぐ手の届きそうな高さには真っ白いモヤが漂って、周囲をぐるりと取り囲む杉山の頂き付近を覆い隠しています。
ニュースを観ればどのチャンネルも、この夏の猛暑振りを取り上げ、毎日のように熱中症の頻発や熱帯夜が連続何日続いているとか、この夏の酷暑をアピールです。
都会はさぞかし暑いことだろうと思います。何もかもがコンクリートとアスファルトに囲まれて、熱を冷ましてくれるどころか熱を蓄えるような構造になっていますからさぞかし夜も暑かろうと思います。
あんな都会の隅っこで20年近くも生きていたのですから、今この地での生活を考えると信じ難いものがあります。もう都会では暮らせない!暮らしたくはない!と思う私かたじ屋なのです。
その土地その土地で特有のしきたりや習慣、決まりごとのようなものはあるだろうと思います。
ときには、あとからその地にやってきた人間にとって理解しがたいことというのもちょいちょい遭遇するもので、冠婚葬祭などはやはり受け入れ難い習慣のひとつかもしれません。
その土地に暮らしている方々にとっては当たり前の決まりごとも、長い時間をかけて何代かに渡った繋がりの中から自然と成立してきたことだろうと想像はつきますが、新入りにとっては判断に苦慮することもあるものです。
隣組と称する自治組織。皆さんながいお付き合いがあり、それこそ親の代、おじいさんの代からのお付き合いというケースもおおく、どなたかが亡くなれば隣組は総動員をかけられ、お葬式の手伝いなる作業を分担する慣わしとなっているのです。
昔であればお葬式を出すこと自体が大変な労力を伴い、ご近所の協力あって無事に済ませることができたことだろうと思いますが、私の感想としてはもはや形骸化し、その多くの場合は式の一切を専門の業者さんが取り仕切り、隣組として手伝いに召集されてもその多くの時間を、あてがわれた座敷の座卓を囲んで辛抱強く過ごさなければならないのが現状のように感じています。
ましてや故人となった方が、新入りにとって見たこともなければ話したこともない、そんな方が居たこと自体最近になって知った。なんていうこともあるものなのです。
それでも隣組は隣組ということで、声をかけていただくのですが、じつのところ判断に困ってしまうものです。
古くからのつながりや付き合いで構成されている隣組や自治会。
郷に従うというのもケースバイケース。入ってきた側も新入りらしく謙虚に受け止めなければならないでしょうし、受け入れる側も全部が同じルールには当てはまらないという認識と配慮があってもよいのではないかと感じています。
7年目をすごしているこの村の生活の中でもトップクラスに入る受け入れがたい事例のひとつかもしれません。

やまねこ殿
やまねこ殿の言われる事、頷けます。
ただ悲しいかな、他の地を知らぬカッパにはそこまでの経験無く、色々考えみたのですが、どうも軽い言葉になってしまいます。
聞き役と、させていただきます。
非力なカッパですみません。
かたじ屋どの
香典袋も祝儀袋もあわてて持って行かないほうがいい。昔、結婚式の受付をやったことがあるが、祝儀袋に金が入っていないことがあった。当日持参者へ指摘はしなかったが。
自分の葬儀を除き香典袋の受領の機会がないやまねこ
やまねこどの
式服というのは便利にできているものですね。香典袋と祝儀袋、これもどうせなら裏表ひっくり返せば兼用できるようにしちゃえば世話がないんですけどね。
かっぱどの
慣習も元はと言えば合理的な考えからスタートし、民意がそれに同調したからこそ続いている。しかし永い年月が経ち住民の価値観、価値尺度が時代と共に変わってくる。慣習もそれと同じで時代にマッチしなければ風習そのものになる。祭りの挙行などは合理論の外にあり、鎮守の神を崇めたいという民衆の欲求がそうさせている。しかし、崇めたい欲求の度が薄ければ動員を掛けられても参画意欲はわかない。およそ行事は参画を求められた人々の欲求度によって成否が決まる。風習化した行事は土葬や明治維新のチョンマゲ廃止と同じで止めた方がよい。
形骸、風習という言葉になじめないやまねこ
かたじ屋どの
昔、新潟で子会社の工場長をやっていた時、部下の従業員の家で葬式があり別の部下の結婚式があった。同じ日の午前と午後だった。小生は式服を着用して出席したが午前の葬儀で黒いネクタイを午後の結婚式でこれを白いネクタイに代えただけだった。但し、香典袋と祝儀袋を間違えて持参したのには参った。
最近は葬式ばかりで結婚式がなくなったやまねこ
やまねこどの
ご希望により読み流してみました。人それぞれにものごとのとらまえ方というのがあるものです。
やまねこどの
御説の通り何がしかの配慮が働くというもので、今回は黒服に身を包んでご挨拶させていただこうかと考えています。
よりによって当日が我が地区の秋祭りの日。この日のために子供たちのお囃子や山車、そのほかの企画に携わってきていますので、こちらを犠牲にはしたくないので、きりのよいところでお祭りのほうに体を回したいと思っています。
やまねこ殿
「バカを言うな。俺の実家は東京だ。・・・・東京に帰るしかないではないか。」の言、とても重みを感じます。
都会と地方を知るやまねこ殿だからこそなんでしょうね。
全てとは言いませんが、慣習も合理性をもたせて欲しいものですよね。
他国の地を知らないカッパ如きが口を出すのは気の引けるところですが・・・そう思います。
かたじ屋どの、かっぱどの
最近感じたことです。読み流してください。
1.「俺を男にしてくれ!」(インパール作戦の牟田口中将)
民主党の代表戦に小沢一郎が出馬する。出馬理由はいろいろ言われているが、突き詰めるところ表題の「俺を男にしてくれ」が当たっているのではないだろうか。彼は勇名を馳せて政界を走ってきたが、まだ総理の座を射止めていない。もういい歳だしこれがラストチャンスと見たのだろう。太平洋戦争末期の日本陸軍大敗北を喫したインパール作戦司令官牟田口中将を彷彿させる。真珠湾攻撃の山本五十六大将、ミッドウェー海戦の南雲中将など歴戦の将軍と同輩ながら主だった作戦の司令官として指揮を執ることなく時間がたち、戦局が悪化していく中で彼はこの作戦を立案した。兵糧の補給を無視した無謀な作戦に多くの幕僚が反対したが、牟田口は強硬に主張した。「俺はまださしたる作戦の陣頭指揮を取っていない。時間がどんどん過ぎ戦局は益々悪化する。同輩同様なんとか一花咲かせたい。このままでは故郷に帰れない」この牟田口の心情を知っている南方方面軍司令部や大本営はだんだん「奴を男にしてやろう」の気が充満し「俺たちだけがいい目は見られない。このまま制止すれば奴は怨嗟の目で我々を見るだろう」とのムードとなったと戦後文献は記述している。太平洋戦争開戦の御前会議同様「気」が牟田口司令官での作戦実行を容認した。(山本七平:「気の研究」)結局、補給がないビルマの高温高湿、のジャングルを死の進軍を続けた陸軍将兵はさしたる戦闘もなく3万の餓死者を出し全滅した。今回の小沢一郎出馬はこれと同じパターンではなかろうか。なおA級戦犯に相当する南方方面軍司令官は鳩山由紀夫に相当することは言うまでもない。
2.今年の高校野球
沖縄興南高校の初優勝で幕を閉じた今年の夏の甲子園。例年通り熱戦が多かったが、何故かスリリングではなかった。
<理由>
①大差のゲームが多く大味だった。
②近隣地区同志の試合が多すぎた。
鹿児島実業(鹿児島):九州学院(熊本)
関東一高(東東京):早稲田実業(西東京)
成田(千葉):関東一高(東東京)
大分工業(大分):延岡学園(宮崎)
クジだから仕方ないが高校サッカーの様にクジグループ分けなど工夫が出来ないものか。
それから、何で沖縄がこんなに強いのか?プロ野球のキャンプが沖縄が多いからというのだが、何か解せない。野球に限らず人間生活に必須でないものが強くなっている。例:プロゴルフ(宮里藍)歌手(安室奈美恵)ボクシング(具志堅洋高)大体沖縄はさしたる産業もなく日本全体に対する経済的な貢献度は低い。それと人種が違うと思う。苗字もそうだが顔が大和民族ではない。眉毛と目を見ればわかる。サッカー解説の川平慈英、女子プロゴルフの宮里藍など典型だ。
3.最近のプロ野球のユニフォーム
①タイガース
ニュージーランドラグビーのオールブラックスじゃあるまいし 全身黒ずくめ。あれを赤白のストライプとしたら「スパイダーマン」になる。
②ジャイアンツ
白に変えるのはいいが帽子はやめた方がいい。
4.政治家の気になる「言いまわし」
①「・・・はいかがなものか」⇒「・・・はよくない」でいい。
②「刎頚の友」⇒中国古典の読み過ぎである。
③「下世話な話」⇒糞尿の話と間違えられる。止めた方が良い。
④「・・・ということを否定できない」⇒米国CBS放送の見過ぎである。「・・・ということだ」でよい。
以上思いつき記述癖のあるやまねこ
かたじ屋どの
人間は動機なくしての行動はないと思う。「義理なし葬儀の参画」でも動機はあるのではないだろうか。例えば、①お呼びを掛けてくれた人の面目を立てる。②参加しないことで近隣区の人達から変な眼で見られる事を回避する。③ここは一時の我慢で地区の融和を図り、同族一体感を保つことを優先させる。自分の為になるからである。④「村八分対象」となる恐怖から回避する・・などである。
455おじさんの早暁外出の動機がどうしても読めないやまねこ
やまねこどの
義理での葬儀も首を傾げますが、義理も何にもない方の葬儀というのは『なぜ?わたしもでなくちゃならないの?ホワイ?』という感じですよね。
かたじ屋どの
<夏休みの宿題>
中学生に夏休みの宿題なんてあったかな。40日間遊び呆けていた小生には宿題の思い出はない。どうしても中学生に宿題を課すなら自主性を尊重し、質を上げ量を減らす。ダイエットと同じである。作文、ポスター、習字はいいが各教科の課題(ドリルなど)は不要と思う。
会社時代「宿題」と言う単語をよく使った同僚を嫌ったやまねこ
<「ヒートアイランドの東京ではもう暮らせない」:女房殿言>
バカを言うな。俺の実家は東京だ。当地にて「村八分」になったらどうするのだ。東京に帰るしかないではないか。・・と言った。
村八分を恐れるやまねこ
<受け入れがたい慣習>
隣組/自治会は尊重しなければいけない。最近の年寄りの生死確認不能などは行政が戸籍事務しかやっていないから発生する。行政は仕事をしたくないから住民がこの様な組織に頼るしかない。しかし、現代では全く意味のない慣習はどんどん変えていかなければならない。当地区でも葬儀があり455おじさん(何故か毎朝4時55分に自家用車で外出。一日5回の出動をこなす。家にジットしていられない体質との噂がある)から動員がかかり葬儀の家に駆けつけギュウギュウ詰め状態で過ごす。多少の飲食準備はあるが殆どは葬儀業者が実務をこなす。従って駆けつけた集団は棺を置いた祭壇の前で苦渋の数時間を耐えて待つ。もちろん故人を知っている古老もいて生前の故人の思い出話もでるが、全員統一できた話題になる由もない。まして後から転入した人は故人の存在すら知らない。こんなことで無為な数時間が費やされ、徒労感、無力感だけが残る。いくら慣習とは言え、義理での葬儀参画は玄関前の祭壇の焼香だけでよい。
エアコン、クーラーのない故人の葬儀宅から帰宅した女房殿を労ったやまねこ